FIREの鼓動 第三部「試練」

第19章「選考会 その四」


「随分と派手にやらかしたのね」

 腕の掠り傷の処置をしながらフィオラが言う。治療されている本人は視線を逸らして窓の外を眺めていた。

「このぐらい、どうってコトはない」

「あなたのコトじゃないわ、ショウタ君よ」

 ほら腕を上げて、と前足を器用に使ってリーフの腕に包帯を巻いていくフィオラ。二巻きしたところで手を止め、リーフの横顔を見上げる。相変わらず視線は此方に向かない。

「何もリーフストームまでしなくても……その前に戦えなくなってたんでしょう?」

「……油断は禁物だからな」

「嘘言って、怪我の具合を見ればどれだけダメージを負っていたのかぐらい分かるのよ」

 それ以上は何も答えそうにない。フィオラはそんな彼の態度にムスッとしながらもキチンと自分の仕事を仕上げていった。

「はい、これでおしまい」

 どうせまた怪我してくるんでしょうけどね、と皮肉っぽく言うのはいつものこと。ポケモンにバトルはつきもの。今更止めることではない。フィオラたち診療所のポケモンは、そんなバトルで傷を負ったポケモンたちを治療するのが仕事だ。

「あ、ちょっと」

 軽く礼を言って椅子から立ち上がったリーフを呼び止める。彼は背中を見せたまま視線だけを此方にやった。

「あなただってBTの一員だし、レギュラーを目指すのは悪いコトじゃない、その点では応援するわ。……けど」

「……何か?」

「仲間の信頼を失うようなコトだけはやめなさい、これ以上やり過ぎないコト」

 あぁ、と気持ちの篭らない返事をすると彼は部屋から出て行った。

(もういい加減終わった頃だろ)

 それよりも気になるのはもう一つの試合の方だった。上の空で扉を開けると、戻って来たばかりのミズホと出くわした。キョトンとして此方を見上げている。

「リーフさん、もう処置は終わって……?」

「掠り傷だからな」

 何でもない、という風に答えてみせる。

「……そうだ、もう一つの試合はどうなった? 見に行っていたんだろう?」

「えぇ」

 ミズホは軽く頷いて答える。「ホーンさんが勝ちましたよ」

 一瞬リーフの視線がきつくなる。しかし臆することなくマイペースに彼女は続ける。

「今ユウリさんが応急処置をしてて……大変そうだからフィオラさんを呼びに」

「………」

 リーフは答えない。視線を逸らして考えるような仕草をしている。

「あの……」

「……ん」

「それじゃ私、急いでるので」

 そのまま挨拶もなく二人はすれ違った。背後で駆けていくミズホの足音。リーフは一歩、二歩と歩き出し、まだ日の高い青い空を見上げた。

 メブキを巡る復讐劇、それは先の戦いで達成された。自分の中でもやり遂げたという実感はある。それなのに心は満たされない。自分の心の異変に彼は気づいた。

(……スッキリしないな、ったく)

 彼の中で、先程までとは違う、別の何かが燻り始めていた。




「はい、後は診療所でね」

 大体の処置を手際良く終え、フィオラが救急箱を閉じる。気を失っていたユウダイもいつの間にか起きていて、フィオラに感謝の言葉を述べている。観衆は大分減った様子だ。

「ところで歩け……そうにないわね、誰か手伝って頂戴」

「ドンすけ、頼む」

 唐突なキャプテンからの提案。

「え、俺すか?」

「ウィンやミストに任せるのはユウダイが酷だろう、それとも何だ、私に押し付けるとでも言うのか?」

 ボルタの鋭い声が飛んでくる。「わーったよ、わーった」とドンすけは肩を竦めながら渋々引き受けた。ボルタに言われては堪ったものではない。

「ほらユウダイ、肩貸せ」

「……悪いな」

 ユウダイは元気が無さそうだった。候補の一番手だったこともあり、負けたショックは大きいのだろう。覇気の無い彼を支えて歩き出しながらドンすけは呟く。

「──お前ぇは頑張ったよ、冷静だったじゃねぇか」

「………」

 彼は答えない。ドンすけは溜め息を吐く。

「今はゆっくり休め、……な?」

「……あぁ」

 そのままゆっくりと去っていった彼の大きな背中は小さかった。

(負け、か……)

 ポケモンバトルにおける敗者。この日、ガーリィは、本当の意味でそれを目の当たりにしたのは初めてだった。負けた、勝った、だけでは終わらない感情。ようやく少し分かった気がして、身に染みるようだった。

「で、だ」

 ウィンは向き直る。「重症なのは──むしろ此方だな」

 其処には、ガタガタと身体を震わせるホーンの姿があった。




「……で、どうなんだよ、アイツは」

 その日の夕方、湖の前でドンすけとガーリィが話していた。

「分かんない、バトルの最中は全くその気が無かったんだけど」

 そう、それは本当に急だった。

 バトルを終え、満身創痍だったホーンに駆け寄った時、ぜぇはぁと息を荒げて俯いていた彼の目は、地面も何も見ているような視線ではなかった。

 バトル後すぐということもあり、まだ落ち着かないのかとその時は思っていた。

 が、暫く経っても呼吸は荒げ、目の焦点は合わず、そして身体は小刻みに震えたまま。

 「大丈夫?」という問いかけにも反応する素振りが無く、心ここにあらずな様子だった。

 それを見て流石におかしいと感じたフィオラは診療所へと引き入れた。そして診断された結果は──

「トラウマ、……あんなに酷かったんだね」

 ホーンの事を考えると無性に胸がそわそわして、静けさを取り戻した村の明かりさえやけに遠く感じられる。落ち着けなくて水面に石を蹴り入れた。

「……俺の所為、かもしれねぇ」

 浮かない顔でドンすけは呟く。水面には波紋が広がっていった。

「もしかしたら大丈夫じゃねぇかって思ってたんだ、淡い期待をアイツにかけちまってた。だから無理に頑張って──」

「それは違うよ」

 ガーリィは首を振った。

「ホーンは自分の為に頑張りたいんだって、ドンすけが期待したからとか、そんなんじゃ」

「……いつ言ったんだよ」

「聞いた訳じゃないけど」

 口を尖らせる。「……目が何となく」

「心を読んだっつーのかよ」

 不満そうな口ぶり。けれどそれで納得したようだった。

「まぁ、それならそれで良いんだけどよ」

 月に雲がかかる。秋晴れの夜空には星が綺麗に輝いていた。

「……ホーンが明日までに何とかならなかったらどうなるの?」

「その時はリーフに決まるだろうよ」

 確信はねぇけどな、と断言は避けた。

「……リーフが、それで納得するのかな」

 ドンすけの顔は見ない。ただ空を見上げたまま呟く。

「さぁ、な」

 きっと浮かない表情のままだったのだろう。声で分かる。

 どうなっちゃうんだろう、そう不安に思うも、自分にはどうしようも出来ない事実が其処に転がっていることを、小さな存在であるガーリィは思ったのだった。




 一方その頃、診療所。

「フィオラさん、巡回終わりました」

「ご苦労様。異常は無い?」

「えぇ、皆さんとても良く眠っていて」

 ホッとした様子でそのシャワーズは語る。無理もない。元から入院していたメブキに加え、今夜はショウタとユウダイ、それにホーンまで此処のベッドの上なのだ。

「ショウタ君、この分だと明日には退院出来そうね──治りが早いのは助かるわ」

 カルテを回し見しながら椅子の上のブースターは安堵の溜め息を吐いた。ユウダイ君もね、と付け加えたように言う。

「問題は──」

「……ホーンさん、ですか?」  そうね、とブースター、フィオラは頷く。

「鎮静剤で落ち着かせたから良いものの、……本人の気が持たないわね、あのままじゃ」

 バトル中はずっと堪えていたらしいけど、と不安そうな目をカルテに向ける。ホーンは終始、精神的苦痛を耐えるので精一杯だったのではないか、というのがフィオラの見解だ。つまり内と外、二つの敵と戦っていた。同時に相手をして、バトルが終わるまでそれを持ち堪えたのだ。それだけでも良く頑張ったと言いたいところだった。

(……それだけあの子自身を奮起させる何かがあったのね)

 村医者として、診療所の所長として、彼女にはホーンを止めるだけの権利はある。この後の事を考えるとすぐにでも止めさせたいのだが、本人が果たして頷くだろうか。今日の頑張りを見れば頷かないことは容易に予測出来る。もしも首を振ったのなら、その時は二択に迫られる。非常に悩ましかった。

「怪我自体は明日までには回復しそうなのね、……」

 兎に角バトルの間を耐え切るだけの精神力が芽生えたことは事実だ。もしかすると治るキッカケになるのかもしれない。その芽を潰すのも躊躇われる。

「……ミズホ、あなたならどうする?」

 え、と突然振られたことにシャワーズ、ミズホは驚きを隠せなかった。えっと、と少しの間考える素振りを見せる。

「私なら、……明日、ホーンさん自身に聞いてみて、それで判断します」

 自信は無さそうに答えるが、それが本来の筋だろう。フィオラは、そうね、と頷いた。

「耐えられるか耐えられないかはあの子次第だしね。……ありがとうミズホ、今日はもう帰っても良いわよ」

「あ、はい」

 失礼します、と丁寧にお辞儀をすると、ミズホは部屋を出て行った。

 フィオラは一人きりになったところで窓の外を見上げた。

(あの子が、ね……)

 時の流れを一人、感じていた。


 ………。


 メラメラと燃え上がる木々。焼け焦げた地面。崩壊した家屋。飛び交う悲鳴。怒号。

 全ては混乱の渦だった。その中を必死に走る自分が居る。

 周りには誰も居ない。迫り来る炎を掻い潜り、無我夢中でこの炎の迷路の中から逃れようと、何度も転びながら駆け回った。

 家族の名を、親友の名を、叫びながらその姿を探す。離れ離れになってしまったのだろう。

 次第に声も枯れ果て、逃げる力も失せてきた。もう駄目かもしれない。自らの最期を覚悟する。

 不意に、何かが飛び出してきた。それは悪魔のようで、死神のようでもあった。ただ一つ分かるのは、それが自分の命を狙っているということ。思わず目を閉じる。

 暗転する直前、目の前が真っ赤に染まる。真っ赤に、真っ赤に──




「……はぁっ!」

 ホーンはカッと目を開いた。赤くない。白い。真っ白い空間。何処だろう、此処は。

「……あ」

 徐々に頭が覚醒していく。混乱の解けていく意識が、此処は診療所のベッドの上だと告げる。

 記憶を遡る。気を失う直前までは何をしていたのか。確か二次選考が始まって、ユウダイと戦うことが決まって、そして。

(バトル、どうなっちゃったんだろう)

 バトルの決着はついたのだろうか。自分は負けたのだろうか、勝ったのだろうか。記憶がまるで無い。どちらにしても今診療所に居ることが確かな事実だ。

 思い立つと、ホーンはゆっくりと後ろ足からベッドを降りた。身体のあちこちが痛いが大したことはない。部屋を出て、廊下に出る。そしてそのまま所長室へと向かった。

 暗い廊下とは対照的に、所長室はまだ明かりがついていた。前足で軽くノックして入る。が、其処に居る筈の所長のブースターは居なかった。恐らく何処かへ出かけてしまったのだろう。窓は開いたままで、カーテンが風になびいている。

 仄かに消毒液や薬品の匂いがする部屋。このまま此処で彼女の帰りを待とうと思ったホーンは、ふと惹かれるように紙束の散乱する机の上を覗き込んだ。

 其処にはカルテが並んでいた。ショウタの、ユウダイの、そしてリーフのまである。BTメンバーの分がやたらに多い。

 彼女は非常に几帳面に、小さな怪我ですらも随時記録していた。それはこの村の診療所の院長をしているという以外に、BTメンバーの健康管理をチェックする役目も担っているからだ。

 自分のカルテは無かった。村が平和になってからは大きな病気も怪我も無く過ごしてきた。軽い風邪にかかったことはあるにしろ、一晩眠ればケロリと治ってしまう体質だったので無理もないだろう。一息吐くと、彼はカルテを漁るのを止めた。

 そして自分の病室に戻ろうとした矢先、部屋の主が現れた。外から戻ってくる音が聞こえなかったので思わずギョッとする。

「あらホーン、起きたの?」

「あ、はい」

 駄目じゃない寝てなきゃ、と苦笑いされる。思ったより元気そうなホーンを見てフィオラもホッとしたようだ。

「あ、バトル初勝利だったわね。おめでとう」

「え、あぁ……ありがとうございます」

 その報告で初めて結果を知る。言われてもほとんど記憶に無いので実感が湧かなかった。

「あの……」

 不意にホーンが尋ねる。

「何?」

「僕、明日もバトル……して良いんですか」

 一瞬間が空く。そうね、とフィオラは窓の外を見やる。

「出られるか出られないか、それはあなたが一番分かってるんじゃなくて? あなたの身体なのよ」

 もう一度ホーンを見たその目は、ひたすらに無感情であった。私情を混ぜまいとしているようにも思える。

「あなたが、自分で決めたんだから」

 あ、とホーンの口が軽く開いたまま固まった。

「だったら、やれるトコまでやってみたらどう? 限界だったらいつだって止めても良いんだし」

 そう言った後のフィオラの表情は実に柔らかいものだった。怪我をしたら、身体の心配事があるなら、いつでも此処に来なさい。いつもの所長が其処に居た。

「ありがとう、フィオラさん」

 怖いものは怖い。けれどそれに立ち向かう勇気が少しだけ生まれた気がした。

 辛いものは辛い。けれどそれを乗り越える為の希望が少しだけ生まれた気がした。

 心を軽くしてくれてありがとう、その一心での言葉だった。

「──僕、頑張ってみるよ」




 翌日は曇り空だった。

「──それではこれより最終選考を行う」

 その下で向かい合う、リーフとホーンの二人。先日のバトルと同様の、いやそれ以上の緊張が場を包む。

(よく来たな、ホーン)

 取り巻きの中にドンすけは居た。昨晩から心配で堪らなかった彼だったが、先程現れた、決意を固めたホーンの表情を見てホッとしていた。それと同時に、義兄として、このバトルが無事に終わることを祈っていた。

「両者前へ」

 ザッと両者の距離が縮まる。スラリとした体型で余裕の構えを見せているのはリーフ。低い姿勢でいつでも飛び出せる構えをしているのはホーン。対照的な構図が生まれた。

「──逃げ出さなかったんだな」

 黄色の瞳が徐に呟く。

「──はい」

 深紅の瞳がそれに答える。

「俺は」

 淡々と彼は続けた。

「今でもメブキの事故に納得が行かない」

「でもアレは」

「故意でなくても怪我をさせたヤツが許せない」

 反論の余地を与えない。

「でもそれは昨日ケリがついた」

 そんなコトより、とリーフはホーンを睨みつけた。

「──新参者のお前には、絶対負けられない」

「え」

 握られた拳がいっそう強く握られる。

「俺たちが日々、BTにかける想いがどれだけのモンか、BTとしての誇りがどれだけのモンか、お前には分かるか?!」

「……!」

 勢いに気圧されてしまった。彼は、リーフは、BTメンバーとしてのプライドにかけてこの勝負に臨むのだ。迷いのないその目が、彼のその覚悟を表していた。

「リーフ、そろそろ始めるぞ」

 脇に居たボルタが少々苛立ちながら声をかける。いたずらに長引かされるのが嫌らしい。

「絶対、負けないからな」

 その一言だけ放ってリーフは所定の位置へついた。遅れてホーンも構え直すが、如何ともし難い感情が胸の中で渦巻いていた。

(僕は……)

 新参者の自分じゃ駄目なんだろうか。自分を変えたいからという理由だけじゃ駄目なんだろうか。今のリーフの言葉が、ホーンの心に迷いを生じさせた。

 レギュラーに選考されることの意味だなんて、考えもしていなかった。自分のことで精一杯で、背中を押されるままにこの場に出て来た。それはいけないこと、なんだろうか。

(出るべきじゃ、なかったのかな……)

 目の前の地面を見つめて俯く。否定的な言葉ばかりが浮かんでは消えていく。どうしよう、このままじゃ、どうしよう──。




『迷ってんじゃねぇよ!』




 不意に聞こえたその声。幻聴だったのか本当の声だったのか定かでない声。紛れもない、彼の義理の兄の声だった。

(ドンすけ……!?)

 観衆を見渡したがすぐに何処に居るのかは分からなかった。分からなかったが、確かにあれはドンすけの声だった。

(あ……)

 不意に思い出したのは、数年前の記憶。夕方の、何気ない帰り道でのことだった。




『俺よ、時々思うんだけどな』

『何を?』

『お前ぇと俺、二人で一緒にやれたら嬉しいよなって』

『ふぇ?』

『──やっぱ何でもねぇよ』

 そう言って頭をくしゃくしゃ撫でて来たドンすけ。その時は何の事を言っていたのか分からなかったのだが──。




(僕は……)

 再び顔を上げ、前を見る。

(ドンすけと一緒に、バトルがしてみたいんだ)

 叶わぬ夢だと思って封印してきたその想いが、今此処に復活した。

(ドンすけと一緒に、バトルがしたいんだ)

 もう一度自分に言い聞かせる。高鳴る鼓動は、今それが現実になろうとしているから。

「──僕だって、負けませんよ!」

 ちゃんと言い返せた。もう、迷いなんてない。

 リーフは一瞬驚いたような仕草をしたが、すぐに好戦的な目へと戻った。口の縁が上がる。

「──お前なんかに」

 ギリッと歯を軋ませる。

「それでは」

 ウィンの号令がかかる。

「負けて」

 リーフの力が籠もる。ホーンも深く構えた。

「──始め!」

 その号令とほぼ同時に、二人は突っ込んで行く。

「たまるかあぁぁぁ!!」

「わあぁぁぁぁ!!」




 ──ぶつかり合った瞬間、砂煙と共に火花が散った。




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