その日の夜のこと。
静けさを取り戻した村の中をホーンとガーリィが歩いている。唯の散歩なので目的地がある訳ではないが、二人はお互いに話しかけることもなく、無言のまま湖の畔の道を歩いていた。
ガーリィは昼間のことを思い出していた。練習場でメンバーたちの帰りを待っていた彼。颯爽と一番にゴール地点に戻って来たのは、当初の予定通りジュプトルのリーフだった。
その次に誰が帰って来るのだろうと待ち構えていると、土煙と轟音をあげて“ころがる”でゴールに突進してきたホーン。ドンすけに彼の能力を聞かされていたとはいえ、とんでもないスピードで飛び込んで来た彼には驚かされた。
これが例の能力──そう、ボルタ同様の素早さのステータス異常だった。唯でさえ普通のサイホーンの何倍の脚力を持った彼が“ころがる”を使う。目にも留まらぬ速さで、あのドンすけの飛行能力ですら追いつけないという。転がるのに脚力は関係ないと思われがちだが、スタートする際の蹴りの初速度や、身体を丸めて出来る限り自分を球体にする為に足の位置をキープするのに大いに関係があるのだ。加速だって実のところ地面に足を一瞬つけた時の蹴りで行われる。“ころがる”は唯転がっているだけの技ではない。
何故この能力を隠していたのだろうと思いたくなるのは山々だが、このような競走や戦いの場でも無い限り使われないのだろう。今まで生かされなかったのは勿体無い気はする。
そのホーンの後からショウタとユウダイが揃ってゴールし、残りの面々が山で立ち往生を食らっていることがドンすけによって連絡された。その時点で一次選考は終了。この四人で争われることとなった。
山に取り残されたメンバーたちの救出が先になり、二次選考は翌日に持ち越し。そして今に至っている。
歩きながらチラリとホーンの横顔を覗く。何処か俯き加減の表情は、決してこの結果を喜んでいるようには見えなかった。勢いで一次選考を突破したものの、彼にとっての正念場は明日の二次選考。トーナメント形式での一対一のバトルだ。これに勝たなければレギュラー代行の座は射止められない。
バトル恐怖症というトラウマ──それがどの程度のモノなのか、それをガーリィはまだ知らない。バトルをしたくないのではなく、バトルが怖い。少なくとも今は大丈夫そうだが、いつどのタイミングで発症するかは分からないのだ。
恐怖症になってから、たった一度だけバトルをしたことがあったとドンすけから聞いた。どうやらそれは二人の間で遊び感覚で行われたモノらしい。ある局面を迎えた瞬間にその忌まわしい過去の記憶──目の前で母親や弟たちが殺された光景がフラッシュバックされ、正気を失いかけたという。思い出す思い出さないは本人の意思によるモノではないらしく、起こるのも突発的らしい。聞いた話なので具体的にどういう状態になるのかは分からないのだが。
今のホーンはきっと、ベンチメンバーと戦うことへの畏怖と、トラウマへの恐怖と人知れず闘っているのだろう。過去の自分を払拭する為の勇気を振りかざして──。
(……だけど)
あのラグラージ、ユウダイにも似たような症状があるのは前にも出た話だ。リーフは親友の脱落に対する強い絶望感と闘っている。ましてやショウタだって負けてはいないだろう。決してホーン一人だけが苦しんでいるのでないことを考えると、この選考会に向けられたそれぞれの必死な想いがジンジンと伝わってくる。この状況下で彼は──ガーリィは、ホーン一人を応援することが出来るのだろうか、と考えていた。しかし自分はホーンのポケモンサポーター。此処で支えなければ唯の役立たずである。
湖の畔を一周し、村の入り口方面の自分たちの家へと向かう途中。秋の虫の音が聞こえてくる。ポロリと零すようにガーリィは口を開く。
「……ねぇ」
「……何?」
「……明日、頑張ってね」
搾り出せた言葉はそれだけだった。しかし目だけはホーンをしっかり見ていた。間が空き、口元を緩めてホーンは頷いた。そして応えた。
「ありがとう」
──その夜は、いつも以上に静かな夜だったという。
次の日も穏やかな秋晴れを迎えた。
「──それではこれより二次選考を行う」
キャプテンのウィンの声でそれは始まった。
「着順にリーフ、ホーン、ショウタ、ユウダイの四名が一次選考を突破した為、トーナメント形式で一対一のバトルとする。最初の組み合わせはくじ引きで決定し、勝った者同士が決定戦に進む。特別なルールは無い。何か質問はあるか?」
残った面々を見てみると、相性からして草ポケモンであるリーフに優位があるのは間違いないだろう。とりわけホーンは全員との相性が悪い。対処方法はあるのだろうか、とガーリィは不安になった。しかし異論が出ない以上、相性はBTにとっては大きな問題ではないのかもしれない。トレーナーバトルとは違う何かがあるのだろうか。
そんな事を考えている内にくじ引きが行われた。紐の先が赤かったのはリーフとショウタ。青かったのはユウダイとホーン。組み合わせが決まった。
「赤の組は第一練習場、青の組は第二練習場で同時に試合開始とする。それでは各人スタンバイ!」
「俺はメブキの代わりに出る」
スタンバイしたリーフが対するショウタに向かって宣言する。いつも以上に厳しい表情は、決意の為か、それともショウタに対する的外れな怒りの為か。
「お前には──絶対に負けねぇ!」
ブレードを備えた両腕で、相手を斬りつけるようにして咆哮する。そして低姿勢で構え、戦闘態勢は万全だ。
「………」
ショウタは一言も喋らなかった。緊張の色は真剣な眼差しの表情には出ず、真一文字に結んだ口の縁が僅かに上がったことでしか確認出来ない。責めるなら責めろ、俺だって必死なんだ、そう言わんばかりだ。それに、返す言葉など無い。低姿勢でキッと睨み付けるようにして構えを取った。
「え、えぇと、お願いします、ユウダイさん」
此方は丁重に礼をするホーン。四つ足を地面にしっかりつけ、頭を軽く下げて視線を下げる。何もかも始めてでオドオドとしている様は何処か頼りなさそうだ。視線もユウダイに向けたり他に向けたりと忙しい。
「……あ、あぁ、宜しく、ホーン」
つられてユウダイもたどたどしく頭を下げた。調子が狂ったことだろう。それにユウダイとしては色々とやり辛い気持ちもあった。実力はあると既に認めたが、本当にバトルが出来るのか、ホーンは未知数過ぎる。どんな形のバトルをしてくるのか、何を得意としているのか、本来なら先に頭に叩き込むべき事が得られないままの戦いになるのだ。
(でも──)
そんな中でも一つだけハッキリしている事がある。先日の一次選考の時に見せた、あの“ころがる”である。恐らくはあれが切り札であり、誰にも負けない武器。素早いだけでなくそのまま攻撃にすらなるあれは、確かに強敵だ。
(だとすれば──)
ユウダイの頭の中で“ころがる”への対策が練られていく。これでもベンチメンバーに居座っているだけの実力はある、機転が利かない訳は無かった。
静かに閉じた目を、再び静かに開ける。目の前は先程よりクリアになった。
冴えた目を向けた時、ホーンはビクッと反応した。それは本気の目、戦いの目。ユウダイは全力で自分に向かってくるつもりだ。そう思った時、彼の中でもある覚悟が固まった。
(僕は──)
ゴクリと唾を飲み込む。喉が鳴る。
(自分に、勝ちたいんだ)
それが今、自分が此処に立つ理由。それを再確認すると、ホーンの目の色も変わった。
──いよいよ、二次選考が始まる。
ゴーン、と鐘がなる。四人はほぼ同時にスタートした。
(先手を──取る!)
お互いに思うことが一致していたのはリーフとショウタだった。二人とも両腕を後ろにやり相手目掛けて低姿勢で突進していく。距離を詰めるのは先制攻撃を確実にヒットさせる為。先制が出来れば多くの面で戦いを優位に進められる。そんな事は誰でも分かっていた。一気に縮まる二人の合間を、観客は見守り──今、弾けた。
「──くっ!」
一瞬何が起こったのか分からなかった。先に攻撃を受けたのはリーフの方。攻撃された右足の痛みと、思惑通り行かなかった事で顔をしかめる。振り向き合った時、得意げな顔をしているショウタが目に入った。非常に悔しい。
元々慎重の低いショウタならではの攻撃だった。ジャンプして飛び掛りそうな動作を瞬時に入れ、それをまた瞬時に感じ取ってしまったリーフの攻撃を上ずらせ、その間に下から尻尾で足を薙ぎ払う。大した攻撃ではないが精神的なダメージを与えることに成功したのだ。
「くそっ!」
片足で地面を蹴り、再びショウタに向かって接近していくリーフ。今度は腕の葉を光らせ硬くして、ジュプトルの代名詞とも言える“リーフブレード”の構えを取り、そして振りかざす。が、その瞬間、ショウタは高い跳躍でかわした。そのまま無防備なリーフの頭を蹴って背後を取る。脳震盪を起こしかけたリーフに更なる一撃、“みずでっぽう”を放った。小さな技を巧みに操るショウタ。リーフを怯ませた。
「どうだ! 俺だってやれるんだ!」
ワニノコの小さいナリで高らかに声をあげたショウタの目には、いつしか自信の炎が宿っていた。
一方此方は違った展開が起きていた。
(慌てたら負ける、慌てちゃいけない──)
飛び出したは良いものの、お互いすぐには突っ込まず、ある程度の距離感を保って静止。片方が右へずれればもう片方も右へずれるといった様子である。消極的なのはお互いに様子見を始めたからか。ユウダイとしてはてっきりホーンが先に突っ込んでくるのだと思っていたので予想外ではあった。しかしそういう時こそ慌ててはいけない。離れ技を持っているとはいえ無闇に放つのは危険だとユウダイは確信していた。例え撃ったとしても、その瞬間は技を出す自身が無防備になる。ホーンのあの素早さを考えればその隙を突かれてもおかしくはないのだ。
(どうしよう──このままじゃ)
先に焦り始めていたのはやはりホーンの方だった。何しろ本当の意味でのバトルはこれが初めてなのだ。遊び感覚でホイホイと次の行動を決められる程単純ではない。考えが無い訳ではないが、自分から突っ込むべきか相手が突っ込んでくるを待つべきか、という判断がまだ不十分だった。経験の差が、二人の状況をじわじわと変えていく。
「!? まだ行っちゃ──」
ガーリィが叫んだのも束の間、ホーンは見切り発車してしまった。居ても立っても居られなくなったのだろう、先にユウダイ目掛けて“ころがる”を発動させ突っ込んでいく。
今がチャンスと思ったのはユウダイ。目にも留まらぬ速さとはいえ、加速するには十分な距離を取らなければならないのが“ころがる”の特徴だ。今二人の距離はほとんど無い。つまりこの距離で突っ込まれても対処出来る──決心したユウダイは後ろ足を踏ん張って立ち上がる。そして突っ込んできた岩塊──いや、ホーンを、がっしりと受け止めた。
「おぉっ!」
身体を張った戦いに、観客から思わず感嘆符が漏れる。思わぬところで回転力を失ったホーンは、ひっくり返ったままユウダイに掴まれ、そのまま宙に放り投げられる。そしてユウダイは更なる追撃を放った。
「いっけぇぇ!」
青白い光──“れいとうビーム”が宙に投げ出されたホーンにぶつかる。瞬間、ホーンの全身は氷付けになった。そしてそのまま勢い良く落下。衝撃で氷は割れるが、背中から落ちた為、一瞬呼吸が出来なくなる程のダメージを受けた。がはっ、と彼の大きな口から息が漏れる。
「ホーン!」
ガーリィの声に呼応した訳ではないが、何とか体勢を元に戻して首をブルブルと振って正気に戻る。再度ユウダイを見るも、今の一連の攻撃に気持ちが怯んでしまった。余りに大きいユウダイの影に、彼は恐れすら感じていた。
(うぅ……)
ショウタはBT一の策士だと言われることがある。
その小さなナリのお陰で攻撃のバリエーションは最も多く、そして攻撃と攻撃の繋げ方が上手い。本来ポケモンは“技”と呼ばれるものを幾つか備えており、それによって自身の身を守っている。しかしショウタは技以外、いわゆる体術と呼ばれる要素を多く取り入れたバトルを組み立てている。沢山ある攻撃のバリエーションは、“技”を最大限に生かす為の一連の動きであり、極力無駄の無いように完成しているのだ。
ドンすけは一度、彼に訊いたことがあった。とっくに進化出来る筈なのにどうして進化しないのか、と。レベルという人間の数値で言えば、ショウタはもう、進化系であるアリゲイツやオーダイルになっていてもおかしくなかった。それを変わらずの石を用いてまで抑えている理由は何なのか。答えはあっさりと返ってきた。
『俺が進化しちゃったら、俺らしい戦いが出来なくなるじゃんか』
俺らしい戦い。その言葉を聞いたとき、ドンすけは思わず苦笑した。単純だな、と言って茶化すも、それはそれで立派な考え方だと思ったのだ。その日からショウタがワニノコであり続けるのに疑問は持たなかった。
そんな事を思い出しつつ、腕を組んだまま観客の一人としてバトルを見つめるドンすけ。最初の一撃からショウタの優位は変わっていない。リーフは攻撃をかわされ続けてイライラしてきた。冷静で居られる訳が無い。
(このままじゃ負けるぜ、リーフ)
蓄積される心身の疲労は隠せない。何より一度も思い通りに戦えていないのだ。誰がどう見たって彼の劣勢は明らかだった。
ただ、ドンすけには一つ気がかりなことがあった。ショウタは“みずでっぽう”、“れいとうビーム”、“かみつく”を使用しているのに対し、リーフは“リーフブレード”一辺倒であることだ。幾ら接近戦が得意な彼でも、流石にあの“かみなりパンチ”すら使わないのは妙だ。考えがあってのことか、それとも単に使わないだけなのか。いつもと違う彼の様子に少々疑問を抱いていた。
「お前もおかしいと思うか、ドンすけ」
唐突に傍に現れたウィン。ドンすけは驚くこともなく頷いた。
「幾らなんでも変っすよ、タイプ相性が悪い訳でもねぇのに、ブレードしか使わねぇなんて──」
ぶつかり合う二人を見ながら喉をグルゥと鳴らす。何となく腑に落ちない様子の目だ。
「──もし」
ウィンが口を開く。
「もし、だ。リーフが自分に戒めをかけているとしたら?」
「は?」
思わず我が主将の顔を見る。神々しいタテガミが風に揺れる。
「リーフにとってこの戦いはメブキを巡っての聖戦──それも相手はショウタだ。自分の他の技を封印してでも達成したいことがあるのかもしれん」
達成したいこと。何のことだか、とドンすけは半分呆れた顔でまたバトルを見やった。
──次の瞬間、ドンすけはその言葉の意味を理解することとなる。
ユウダイはメブキと同じパワータイプだが、相手の出方を見るのが得意だ。
恐らくは長年の親友であるショウタとバトルを繰り返したことが原因だろうと、昨日ゴール地点で待っている時にミストに教えて貰った。ショウタは戦略派で多彩なバトルを仕掛けてくる。そんなショウタとの幾多のバトルを経験したユウダイなら、相手の攻撃によって柔軟に対応出来るようになってもおかしくはない。相性の悪いリーフにもたびたび勝利しており、伊達にベンチメンバーで一番の候補になっていない。そんな彼といきなり当たったホーン。展開がこうなることはある程度予測されていた。
(勝てる可能性は──ほぼ無い、か)
観客の一人として見ていたラプラス──ミストは溜め息を零した。初戦の組み合わせが悪かった。初経験のバトルで痛烈な洗礼を受けたものだ、と彼は思う。
あれから一方的なバトルが続いていた。ユウダイの巧みな距離の取り方にホーンの“ころがる”は封印されてしまった。何度も試みるがどれも威力不十分。掴まれては投げられる、その繰り返しだ。どうすれば良いのか、解決策がホーンの頭の中で練られていない。単調な攻撃に意味は無く、ただ虚しく時間と体力が奪われていくだけだった。
(そろそろ戻るとするか)
長時間陸に上がっている為に乾いた身体を潤そうと池まで戻ろうとした時、突然大声が飛んできた。
「ホーン、ファイトだよー!」
視界の端に、必死に応援しているガーリィを見た。こんな絶望的な状況でも声を張り上げている。頑張れ、とか、負けるな、と、敗色が濃厚になればなる程声援は大きくなっていく。単純な言葉ではあったが、めげずに続くその声にホーンも応えようとしている。段々と苦しくなっていく心身でも、何とか力を振り絞って立ち上がる。二人の健気で諦めの悪い性格がシンクロしていた。
「よし、立てた立てた! まだ行けるよ、ホーン!」
本当は応援などしていないで助けに行きたい一心なのだろう。その証拠に誰よりも最前列に出て応援している。周りの視線など気にも留めない。そんな必死な気持ちがホーンに伝染しているのだとミストは気づいた。そして、やれやれ、と首を振りつつも、ガーリィの元へ近寄っていった。
「──おい、ガーリィ」
唐突な呼びかけに振り向くと、威厳のある祖父譲りの目を持ったラプラスが居た。
「本当にホーンをサポーターとして助けてやりたいのなら、自分も考えるんだ。──応援するだけがサポーターではない」
「えっ」
目を丸くするガーリィ。尋ね返す間も無くミストはその場を後にした。
(そうだ、僕も考えるんだ)
今の言葉で目が覚めた。この状況を打開するには──この大きなハンデを埋めるには、ホーン一人の力では敵わないのだと。自分の力も必要なのだと。
一気に頭が回転する。ユウダイの戦略、ホーンが使える技、その他諸々の要素──全てが合算された時、彼は身を乗り出して叫んでいた。
「ホーン! ──」
あ、と叫ぶ間も無かった。
頬を殴られ吹っ飛ぶショウタ。ハァ、ハァ、と大きく肩で息をしているリーフの右手には拳が握られていた。唖然とする観衆。まさに一瞬の隙だった。ショウタがちょこまか動いて接近し、“かみつく”を仕掛けようとした瞬間、リーフはそれをヒラリとかわし、横から拳を叩き込んだ。攻撃が読めていたのだろうか。これまでと異なるその反応に誰もが驚いていた。
「……ようやく」
ショウタが起き上がる前にリーフは何かを呟いた。
「ようやく……殴れたぜ……」
ニッと口の縁を上げ、勝ち誇ったような表情になる。まるでこの展開を待っていたかのようだ。一瞬天を仰ぐ。
(メブキ──)
リーフは最初から決めていた。拳で殴るまでは他の技を使わないと。それは自分にとって大切なメブキを怪我させたショウタへの怒りであり、自分自身のプライドでもあった。例えお門違いだと言われようと関係ない。一発殴らなければ自分の気持ちが収まらなかったのだ。
理不尽なのはショウタの方だ。あれは事故であって怒りを自分に向けられる筋合いは無い。しかし今は正式なバトル、攻撃は正当だ。それでもショウタはこの拳の意味を理解してしまった。その上自分の攻撃を見切られてしまった。何とも表現し難いショックで頭が固まり、動きも止まった。
(もし、かして)
リーフの表情を見てショウタは悟った。
(俺の攻撃、見破られてた……?)
そんな筈はない、そう自分に言い聞かせて再び立ち上がり、リーフに向かって駆け出す。どちらにしたってダメージは向こうの方が上、自分が有利なのは変わらない筈だ。そう思って次なる一連の攻撃を繰り出した。
ところがその予感は的中した。“かみつく”は避けられ、“みずでっぽう”は当たらず、更には“れいとうビーム”すらかわされる。さっきまでとはまるで別人のような動き。その攻撃の最中、一瞬見えたリーフの横顔は、先に自分がしていたしてやったりの表情だった。
(何で……どうして……!?)
焦るショウタ。しかし攻撃は外れ、“リーフブレード”を連続して当てられる。
「形勢逆転──だな」
確信したようにウィンが呟く。隣でドンすけは呆気に取られて口をポカンと開けたままにしていた。
「リーフは待っていたんだ、ショウタを殴れる機会を。──まぁ、攻撃まで最初から読めていたとは思わないが」
「………」
言葉を失った。殴る、それだけの為に? 正直理解出来ない。それ程までにリーフはショウタを恨んでいたのか。思わず頭の上のゴーグルに手をやる。
「信じらんねぇよ」
思わず漏れた言葉に嘘は無い。
リーフ。ドンすけは心の中で問いかけた。
──トドメの“リーフストーム”が炸裂した時、劇的な勝負は幕を閉じた。
逆転への作戦を考えるのは得意分野だった。
冷静になって考えてみる。ユウダイはホーンの得意技を封じに来ている。だからこそ一定の距離を維持している。これ以上近ければ近接攻撃を受けるし、これ以上遠ければ“ころがる”をしてきた時に受け止め切れない。まさにベストポジションを彼は選択した。他の技など要らない。ホーンへの最良の策だと言えるし、無理をしないのが何よりも利点。有利な時程無茶はしないのは鉄則だ。
だが鉄板とも思えるこの策は、ユウダイにとってもあるリスクをもたらしていた。ミストの忠告で落ち着いたガーリィはすぐその事に気がついた。力任せに“ころがる”を受け止め続けている影響か、踏ん張る後ろ足に疲労が蓄積していたのだ。時折体勢を立て直しているのがその証拠。幾ら加速の足りない“ころがる”とはいえ、確実にダメージを与えていた。
「ホーン! “じしん”だ! 足場を崩して!」
その叫びでハッとしたホーンは、すぐさま二本の前足を大きく上げ、地面に向かって振り下ろした。瞬間、バトル場全体が揺れる。観客が突然の事に慌てる。
「わっ」
勿論慌てたのは観客だけではない。ユウダイもだ。予想だにしていなかった突然の“じしん”にバランスを崩し、転倒。やはり後ろ足の疲労の為か、すぐ起き上がれない。追撃の言葉が飛ぶ。
「今だよホーン!」
今しかない。まさに今しかなかった。続けて“ころがる”を開始し、今度は直接ユウダイへと向かわずその周りを大回りする。一気に加速していく。そして立ち上がったばかりのユウダイに向かって猛スピードで突っ込んでいく。
「いっけぇぇぇぇぇ!」
クリーンヒット。どてっ腹に命中し、大きなラグラージの身体が宙に浮く。速度が速度なだけに衝撃も大きかった。ずしゃっと力なく地面に落ちる。歓声が上がった。
その後も更に“ころがる”による攻撃が続く。連続で当たれば当たる程威力が上がっていくのが“ころがる”の特徴。つまり速度も上昇していくのだ。立ち上がる間もなく次々とヒットする攻撃にユウダイは成す術が無かった。
一発、二発、三発──ドスッ、ガスッと鈍い音が聞こえる。ほとんどたこ殴りの状況だ。スピードが上がり過ぎて上手く制御出来なくなったのか、五発目がようやく外れた。ホーンは回転を止めて元の定位置に滑りながら戻る。地面を滑って砂埃が舞う。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
怒涛の攻撃はホーンの必死さの表れ。無我夢中、躍起になっていた。あれだけ回転したのに目が回っている素振りは見せず、倒れこんだユウダイをじっと睨み付けていた。
(此処までやるとは──な)
去り際に見ていたミストは先程の助言を思い出す。
(もしかすれば、もしかするかもな)
そして今度こそその場を立ち去った。──バトルはまだ続いていた。
トラウマなんて本当にあったんだろうか。
バトルの行方を見守るガーリィ。まだ決着はついていない。ユウダイもホーンももうかなり疲れ切っていて、両者ともに地面に何度も屈していた。それなのに未だ目が生きている。勝利への執念、ただそれだけが純粋に二人を突き動かしていた。
このまま何事もなく決着がつくのだろうか。其処に居た誰もがそう思い始めていた頃、遂にユウダイが最後の勝負に打って出た。
「うらあぁぁぁぁ!」
雄叫びを上げて猛烈に突進する。迎え撃つホーンも負けじと雄叫びを上げる。
「わぁぁぁぁぁ!」
力と力の勝負、というよりもう気力勝負。バトルの根底にあるものはお互いの意地でしかない。負けたくない、負けたくない、負けたくない──そんな両者の想いがぶつかり合おうとしている。観客は、ただ見ていることしか出来ない。
──そして、
ぶつかり合う直前、ガーリィはヴィーンという鈍い音を聞いた。
突撃し合った二人の姿が交錯する。
間。
必死な形相のまますれ違った二人は、刹那の間、動かなかった。
ホーンの足が崩れる。観衆から溜め息が漏れる。
が、その次の瞬間、意識を失って倒れ込んだのはユウダイの方だった。ズシャ、と鈍い音がした。
「やっ──」
歓声が上がった。
──ホーンの必殺技、“つのドリル”が決まったのだった。