出遭いというものはいつも突然で、未来に予測することは難しい。それ故に新鮮な驚きの連続である。それが望まれたものかどうかは別として、その偶然は必ず何かをもたらす。今まで自分の進んできた方向とはまるっきり正反対に連れて行かれる事もある。──彼の場合がそうだった。
ある晴れた日の午後、深い森の茂みの中で二人は出遭った。出くわすなり、お互い驚いて後ろへと飛び退いた。
彼は腰を抜かしつつも、今、目の前に現れた、自分と同じように腰を抜かしているイキモノを見つめた。
身体全体が灰色一色の堅固な皮膚で覆われ、3本の鋭い爪の備わった前足は地面をしっかりと捕らえ、背中には大きなトゲが並んで生えており、犀のような顔つきに、鼻先の角が此方を覗いている。
「……に、人間っ……?」
彼を見て怯えているのは、明らかにポケモンのサイホーン。やっぱり此処はポケモンの──。彼の予想は的中した。
「……、……サイホーン……かぁ……」
驚きとか悲しみとかを通り越して、彼は何故か一種の安堵感を覚えていた。さっきも言った通り、彼の世界にポケモンは居ない。架空の存在なのだ。誰もが一度は思った事があるであろう、そんな架空のイキモノに出遭えたら──と。彼もまた同じ事を昔から夢見ていた。それが現実となったのである。生まれた感情は決しておかしくはないものだろう。
「どうしよう、早く皆に報せなきゃ──」
サイホーンはそう言って、あたふたしながら振り返って走り出そうとする。彼はそれに気づき、慌てて立ち上がり声をかける。
「あ、ちょっと待ってよ! 僕は悪いコトなんかしないよ! 仲間に報せるだなんて──」
「……えっ?」
サイホーンが立ち止まり、振り返る。一瞬間ができ、妙な空気が二人の間を流れる。何だかとても気まずい雰囲気だ。サイホーンは意を決したように、彼に問いかける。
「……今、何て言ったの……?」
「だから、悪いコトしないって」
「……、……分かるの? 僕の言葉……」
「…………あ」
サイホーンが感じていた違和感に、彼もようやく気づいた。何故言葉が通じているんだろう──。
元来ポケモンと人間は言葉を交わすことが出来ない。幾らポケモントレーナーだって、ポケモンの方に此方の言葉は通じても、ポケモンの言葉は分からないはず。それなのに今、自分はこのサイホーンの言葉が分かる──。
「あー……ゴメン、今の今まで普通のコトだと勝手に……」
開口一番その言葉が口から飛び出した。思わずサイホーンは呆れた。
「やっ、其処で謝られても……」
「ホント、何で通じてるんだろうね? 僕、変になっちゃったのかなぁ……」
彼はそう言って苦笑した。そんな様子を見ていて尚更呆れたサイホーンも、思わず苦笑してしまった。お互い笑い合い、そして一息吐いてこう言った。
「……君みたいなのだったら、別に報せなくても良いや。どう見たって悪いコト出来そうな顔に見えないし」
「あ、それどういう意味」
「……自覚してるんだ、やっぱり」
「この!」
彼は笑い半分でそのサイホーンの背中にしがみつくと、そのまま背中に乗ろうとした。サイホーンも思わず振り払おうと身体を思いきり振る。尚更必死にしがみつく彼の姿は、まるでゲームセンターにでもあるおもちゃのロデオに乗る子どものようだった。
「おーい、ホーン、何やってんだよ全く──」
そんな時、突然ある茂みの奥からまた別のポケモンが現れた。はしゃいでいた2人は思わず動きを止め、現れたそのポケモンの方を見る。
「……って、人間か?!」
そのポケモンは彼の姿を見るなり慌てて身構えた。オレンジ色の身体に、背中には大きな翼、丸いお腹は薄く黄色みがかっており、細い腕には三本の指、その先には鋭い爪が備わっている。すらっとした首の上には、二本の角のようなものが後ろに伸び、前に長い顔に長い口。ポケモンのリザードンだ。顔の両側にあるその目は、明らかに彼の事を敵視していた。それに気づいた彼は、慌ててサイホーンの背中から降り、両手を上げてその場に直立した。
「あ、僕は唯、……迷っちゃって……」
間が悪そうに必死に弁明する。此処でもし敵だと思われて襲われでもしたら──。彼は想像した。このイキモノが、口から炎を吐けば、自分なんか一たまりもないだろうと。
「ホントだよ、ドンすけ! 別に何もされてないよ僕! それに──」
ドンすけ、と呼ばれたリザードンはキョトンとしてサイホーンを見た。
「……それに?」
ホーン、と呼ばれたサイホーンはリザードンの前に歩み寄って、言った。
「……言葉、通じてること気づかなかった?」
「…………あ」
思わず固まる。リザードンの方も言われるまで全く気づいてもいなかったようだ。
(……何なんだろう、この親近感……)
いつの間にか彼は笑い出していた。自分の置かれた状況など既に忘れ、唯、目の前にある感情に素直に心を委ねた。
「……? 何だぁ?」
「……いや、だって僕と同じなんだなぁって、……まるで一緒なんだもん、その反応」
俺が、この人間と──同じ? 思わずサイホーンに問い正す。
「そう……なのか?」
「ん、まぁ」
そう言ってサイホーンも笑い出す。そんな2人の様子を見てか、むらむらと、うずうずした、淡い怒りのような感情を身に覚えた。
「あー……ちょっと良いか?」
そう言うと、リザードンは何かを思い立ったように頭を掻きながら彼へと歩み寄っていく。
「えっ、何──」
彼が笑いを止めて振り返るよりも早く、リザードンは突然彼の身体を持ち上げた。そしてそのまま自分の背中へと座らせる。
「な、何するの?!」
「──お前、空、飛んだコトあるか?」
「えっ──」
リザードンはそう呟いてニヤリとすると、彼がまだ用意も何も出来ていないにも関わらず、翼をはためかせ、その空へと飛び上がったのだ。
「うわあぁぁ?!」
反射的にリザードンの肩を両手でしっかりと掴む。突然の感覚に心臓が参ってしまいそうになる程脈を打っていた。恐さで目は瞑ってしまっている。
ぐんぐん上昇していく感じ──まるで高速のエレベーターにでもしがみ付いているかのようである。懸垂が5回も繰り返せば良いくらいの非力な彼には相当酷なものだった。
振り落とされないようにしっかりと掴む。その背中から自分の身体が離れないようにピタリとくっつける。両側の羽ばたく翼からは心地よい風が顔に当たる。それら全身で感じているこのイキモノ。それは確かに鼓動を打ち、確かに今、生の脈動を続けているのだ。彼はその事を改めて痛感させられた。
すると突然上昇が止まり、掴まっていた背中が上になった。空中で静止したようだ。彼は掴んでいた手の力を抜き、背中にその身体を預けた。
「いい加減目を開けたらどうだ? 下を見てみろよ」
リザードンのその言葉に誘われるように、彼は恐る恐る目を開けた。
「……わぁ!」
彼らの目下に広がる緑の世界。木々は太陽の光に照らされ美しく緑色何処までも何処までも続く森と山は全てを包み込む抱擁感に溢れていた。
「どうだ? 高くて恐いってか?」
ニヤニヤしながら後ろも振り向かずにリザードンが言った。恐らく怖がる事でも想像していたのだろう。しかし──。
「ううん、全然。それどころか気持ち良いよ!」
「……はぁ?」
彼から既に恐怖という2文字が消えていた。何とも言えないこの景色、感動せずに居られるか──と。最初から軽く脅かすつもりだったのだから、リザードンは思わず拍子抜けしてしまった。呆れの感情を抱きつつ、背中の彼を後ろ目で見やる。
「……お前ぇ、本当に人間か?」
「え、おかしい?」
「別にそんなんじゃねぇけど──」
「……じゃあ何?」
「むっ……(……何だろうこいつ……)」
やり込められ、空中のその位置で静止したままリザードンは黙り込んだ。彼に対するある種の呆れは、最早許容範囲を超え、返す言葉すら見つからなかった。いくら考えても出てくるのは溜め息である。
「ねぇ、向こうにあるのって海?」
そんな思いを知ってか知らずか彼が呟く。リザードンは目を彼の指差す方向へと向けると、さらさらとした美しい砂浜の入り江に、穏やかな波、そしてずっと向こうには遥かなる水平線が見える。
「……ミーティン海」
「みーてぃん?」
「そうだ、『ミーティン海』。"出会いの海"って意味さ、……俺らはそう呼んでいるんだ」
「へぇ……」
そう言うとリザードンはチラッと下を見た。森のある一角でさっきのサイホーンが騒いでいるのが見える。
「じゃあ向こうに見えるのって──あれ、村? 何だか沢山家が建ってるみたいだけど」
リザードンはハッとして顔を上げた。
「……あ、あぁ。俺らの──村だ」
「君たちの?」
彼はすぐに聞き返した。
「人間なんか一切住んじゃいねぇ、ポケモンたちだけの──」
「へぇ」
彼は珍しいモノを見るかのような目つきで遠くを眺めた。
村には大きな木が中心に一本立っていて、その傍に湖、周りにはログハウスらしき建物が沢山立ち並んでいるのが見えた。
「ポケモンだけの村? ──凄いなぁ」
感心して溜め息が漏れた。そしてさっきから捕まっていたリザードンの肩に目をやり、しっかり捕まっていることを確認する。
「でも良かった」
「……? 何が?」
「いや、だって、もし君が僕のコトを敵だとみなして攻撃してきたら──僕は一たまりも無かったんだろうし」
彼はそう言って笑いかけてきた。
「だろうな、一瞬で黒こげになってたな」
リザードンは一応冷やかしのつもりで呟いた。が、彼は怯えることなく続けた。
「でしょ? 良かった、話の分かるポケモンで」
信用された? リザードンは一瞬戸惑った。そんなことより、こいつをどうにかしないと──。
「……分からなかったらどうしてた?」
「その時はその時だよ、ずっと逃げてたんだろうね、『元の世界に帰りたい』って泣きながら」
そう言うと彼はまた向こうの水平線を見つめる。──正直、嬉しかったのだ。ずっと会ってみたかったポケモンに会えた、それだけでも嬉しかった。
反面、リザードンは考えていた。果たしてこいつをいつものように追い返して良いものかと。
聞いた話によれば、この森には次元の歪みが存在しており、その次元の裂け目から人間が時たま現れる。そんな人間達を、彼らの掟では、すぐに追い返して自分たちの村から遠ざけるコトになっていた。数十年──いや数百年守られてきた決まりなのだ。
だが、こいつが何をした? まだ何もしてないじゃねぇか、何も──。
心に迷いが生じ、気持ちが揺らぐ。 ましてや唯の迷い人だ、唯の──。
その時だった。
「あれ、何だろう?」
彼が呟いた言葉でリザードンは我に返った。
「……? どうした?」
「ほらあそこ、君たちの村の近く──」
彼は少し身を乗り出してそっちの方を指差した。森の中で何かが──何かが村の方に向かって蠢いている。あれは確か──?
自分の中にある記憶の断片と重なり合った時、リザードンはハッと気がついた。
「スピアーだ! 群れ成して襲う気だ、あいつら!」
「えっ?!」
リザードンは慌てて急降下し(彼はしっかりと肩口に掴まっていた)、下に居たサイホーンに告げた。
「スピアーだ! スピアーの群れが村に向かってる!」
「えぇっ?!」
サイホーンは聞くとすぐにクルリと村の方角へと振り返る。
「行かなきゃ! 皆に報せないと!」
「俺も空から行く! ポケベルでキャプテンには伝えとくから、お前も早く行け! 避難させるんだ!」
「分かった!」
サイホーンはそう言って急いで森の奥へと走っていった。それと同時にリザードンも再び空へと飛び上がる。
「──さて、問題は」
リザードンは自分の背中を見る。
「僕のコトなんか後でも良いって! 今はそんなコト気にしてる場合じゃないんでしょ?」
「……あぁ、だな」
彼の気迫に押されたか、リザードンは彼を背中に乗せたまま、意を決して村の方へと飛び始めた。そして同時に手元にあったポケベルを爪先で押してメッセージを送った。
『スピアーノムレガムラニムカッテイル シキュウヒナンスベシ』
(頼むから間に合ってくれ……!)
リザードンは加速していった──。