「メブキ!」
雨の中、知らせを聞いた二人は診療所へと向かった。
その奥にある部屋に飛び込んだドンすけとガーリィの二人が最初に目にしたのは、白いベッドの上で、包帯の巻かれた片足を上から吊り下げられた状態のまま、仰向けに横になっているベイリーフ、メブキの姿だった。目には涙を浮かべ、今にも泣き出しそうな顔で、やって来た二人を見つめている。
ベッドの周りにはウィンやボルタを始めとしたBTの主力メンバーたちが集まっていた。マネージャーのユウリまで居る。
「……それで、メブキはどうなんすか?」
聞かずとも目に見える答え。が、聞かずには居られなかった。
「全治一ヶ月の右脚骨折、……大会まで三週間しかないし、例え治ったとしても、間に合いそうにないわね」
「……そんな」
余りにも惨い宣告を、フィオラは淡々と告げた。「病気ならまだしも、骨折じゃ私の努力でどうにかならないわ」と、諦めの溜め息を交えながら言う。無責任な気持ちからこんなコトを言うのではない。診療所の所長としての誇りと自信にかけて断言しているのは彼女の表情からも見て取れた。
「嫌だ! 僕は出るんだ! 出なきゃ──」
駄々を捏ねて暴れたメブキだったが、その瞬間右脚に激痛が走る。声にならない悲鳴を上げ、顔を歪め、悔しそうに涙を流す。止め処ないその流れが頬を伝っていった。
「……くそっ……どう、して……!」
ひっくひっくと泣き声を上げるメブキを見ると、誰もが言葉を失った。どんな言葉をかけてやれば良いのか、何をすれば良いのか、皆目検討すらつかなかった。
そんな中で第一声を放ったのは、やはりキャプテンのウィンだった。
「兎に角、メブキ、もうこれ以上は動かすな。……治るモノも治らなくなってしまう」
「……うぇっく……」
メブキは答えない。涙でグシャグシャになった顔をベッドのシーツに押し付けて更にグシャグシャにしている。
その様子を見ていたウィンは一度首をもたげた後、其処に居た全員に目配せし、此処から出るように指示をした。BTメンバーたちとマネージャー、サポーター、更にフィオラまで後についていく。ミズホはその場に残るように命ぜられた。
別の部屋に移動した後、最後に入ったフィオラが戸をパタリと閉めると、第一声を上げたのは──ワニノコのショウタだった。
「ゴメン、俺があの時止めてりゃこんなコトには……」
事の成り行きはこうだ。
その日の実戦練習でメブキはショウタとペアを組み、いつも通りに激しい練習が行われていた。
ところが暫く練習をしていると雨が降り始めた。ショウタは「もう帰ろう」と持ちかけたのだが、メブキは「もう少し調整したい」と言って聞かなかったらしい。良い感じで身体が暖まっていたこともあり、二人はそのまま練習を続けた。
──そして、悲劇は起きた。
唯でさえ雨で威力の上がっているショウタの"ハイドロポンプ"を避けた後、メブキはツルを使って思い切り空中へと飛び上がった──が、その時運悪くそのツルで叩いた地面から泥がメブキの目に跳ね返ってきた。瞬間視界を失ったメブキは空中でバランスを崩し、そのまま地面へと落下。その時に右足が下敷きとなり、骨折したというのだ。
「嫌な予感はしてたんだ、でも俺──」
その時バッと何かが、着ていた黒い革ジャンの首の辺りを掴み、ショウタを持ち上げた。──ジュプトルのリーフだ。
「予感はしていた、だ?! なら何で止めなかったんだよお前は!」
「そ、そんなコト言ったって!」
いきなりのことにガーリィはギョッとした。ショウタは苦しそうに首の辺りを押さえ足をジタバタさせている。
「よせリーフ!」
一喝したのはモココのボルタだった。「意味の無いことはするな、メブキの為にも」
「……ちっ!」
バッと革ジャンを掴んでいた手を放し、ショウタが床へと叩きつけられる。ケホケホ、と咽るショウタに、「大丈夫、お兄ちゃん?!」とユウリが駆け寄った。
「──こうなった以上はどうしようもない」
強い口調でウィンは言い切った。
「今年はメブキなしで戦う、……ミスト、これから長老のトコロへ行くぞ」
「分かった」
そう言って二人が去ろうとした時、誰かが「待ってくれ」と呼び止めた。ユウダイだった。
「雨は上がったようだけど、この後の練習はどうしたら? 他のメンバーたちはまだ雨宿りをしているし」
あぁ、そうだったな、とウィンは呟く。
「まだ地面がぬかるんでいるだろう、練習は止めておけ。整地でもして貰えると嬉しいが」
「OK」
了解を得ると、ユウダイも二人に続いて出て行った。
残されたメンバーの間には、相変わらず嫌な空気が流れていた。すぐに動く気にもなれないのだろうが、其処にボルタが居なければまた喧嘩が始まるような、そんな険悪な雰囲気すらあった。
「リーフ、とりあえずお前は家に帰れ」
唐突にボルタが言う。有無を言わさないような目だった。
「……分かったよ」
渋々とリーフもその場を後にする。ショウタが内心ホッとしたのは顔に表れていた。
「此処でこのままじっとしていてもしょうがない、……おいドンすけ、整地の手伝いに行くぞ」
高圧的な物言いだった。一瞬ムッとしたドンすけだったが、何も言わずに彼女と一緒に出て行った。
残されたのはほんの数人。ショウタとユウリ、フィオラに、そしてガーリィ。妙な取り合わせになってしまったな、と思い、自分も返ろうとしたが、ふとユウリに止められた。
「ガーリィ君、そういえばブレイ見なかった?」
いきなり声をかけられドキリとするガーリィ。
「あ、うん、さっきまでヴァルカンさん家で一緒だったから、そろそろ来るんじゃないかなぁ」
分かった、と声を返し、彼女もまた外へと出て行った。恐らく何かしら用事があったのだろう。──それにしても、さっきの緊張は胸に堪える。フィオラも仕事へと戻っていった。
部屋には、小さなポケモンが二匹残された。妹に置いていかれたショウタはその場でシュンと下を向いたまま動こうとしない。やはり事故が相当ショックだったようだ。いつもの覇気が消え失せていた。
ガーリィは戸惑った。このまま自分が帰るのは構わないが──むしろさっきは帰ろうとしていたが──どうもこの空気では落ち込んでいるショウタの脇を通って外へは出にくい。かと言ってまだそれ程面識の無い彼に声をかけるだなんて──。けれど。そう思ってガーリィは口を開いた。
「あの、ショウタ……さん?」
徐に視線が此方に向いた。返事をする気力すら無いらしい。
「何て言ったら良いのか分からないけど、ショウタさんは悪くないと思いますよ? 偶然居合わせただけだし──」
「──止めてくれよ」
遮るようにショウタが言う。「俺にだって分かってるよ、けど……」
その先が続かない。気持ちはグチャグチャだった。
「……やっぱり、メブキが出られなくなるのは辛いから」
本音だった。チーム内のレギュラー争いの敵とはいえ、ショウタはそのレギュラーメンバーを目標にして此処まで頑張ってきていた。だからそれを台無しにしてしまったと思うと気が気ではなかった。この際、自分のことなどどうでも良いのだ。今の言葉を通してそれが痛い程に伝わってきた。
「……、……ショウタさん」
またかける言葉を失った。何やってるんだ、僕。頭の中で自分をサンドバックにした。
が、そんなコトを振り払うように首を振り、ショウタは言った。
「……あ、俺のことは呼び捨てで良いから。──但しワニとかは言わないで欲しいけど」
あ、はい、とガーリィが頷く。すぐさま、敬語も禁止、とショウタは言う。
「一応同い年なんだよね? ガーリィは」
「──てコトは、十六歳? ドンすけとも同じってコト?」
そういうコト、とショウタは頷いた。
「だから何かあったら俺に訊いても良いよ、──ユウリが迷惑かけてなけりゃ良いけど」
「あ、いや、そんな」
アイツ結構ガサツなトコロあるから、とショウタは言う。顔を真っ赤にして慌てたガーリィには気付いていないようだった。
「──雨、止んだな」
窓の外を見て、ポツリと呟いた。
雨の匂いがする。午後の日差しが窓から差し込んでいた。
この後の混乱を、誰が予期出来ただろうか。