FIREの鼓動 第三部「試練」

第15章「キッカケ」


 あの日から四日が過ぎようとしていた。

 というのも、現実世界では丁度テストシーズンに入っていたからだ。幾らファイア村に滞在する一日が此方の一時間という計算とはいえ、流石に今回ばかりはそうもいかなかった。大した対策もしていないままテストの日を迎えることとなったのだが、これが意外にも直前のヤマが当たりに当たった。よし、いける。彼は何だか神様に救われたような気がした。だとしたら救ってくれた神様はどの神様だろう? 宗教とかそういったものに興味のない自分には関係のない話か、と彼は思う。しかし、もしかしたら向こうの世界の神様? もしそうなら神様ってのはポケモンだろうか。カミサマと呼ばれるポケモンたち。名前ばかりが沢山あがる。兎も角感謝出来る相手が居るのなら感謝したかった。

 最後のテストが終わると、彼は真っ先にあの公園と向かった。テスト明けなので部活(一応、文化部)が再開されるのは知っていたが、今はそれどころではない。今日は来ないの? と同学年の部員に尋ねられたが、うん、今日はちょっと、と断った。元々それ程束縛のある部ではない。彼は中学校以来体育系の部活を離れていた。理由は簡単。個人競技の方が、それに頭を使っている方が自分らしいと思ったからだ。

 が、時折その意に反し体育系の血が騒ぐのか、通学時の自転車などはガンガン飛ばして車と並走する。お陰で自転車が一年間無傷でもった経歴は無い。街の中心を流れる大きな川にかかる橋を渡り、上り坂を、下り坂を、一気に走りぬけて行く。そうして二十分程ペダルを漕いだ後に──例の公園へと辿り着く。

 自転車を自転車置き場に停め、まだ人があまり居ない公園へと入っていく。九月の終わりに差し掛かったばかりだが、木々はもう色づいている。イチョウは黄色に、モミジは赤に、ナナカマドは紅い木の実をその枝いっぱいに垂らしていた。見上げれば秋晴れの空が実に青々としている。その中で夏が名残惜しいのか、入道雲の切れ端のような雲が向こうに見えた。夏と秋の端境。不思議な季節だ。

 そういえば、と彼は思う。ファイア村も此処も同じ北の地方にある。木々もよく似ていて、どちらの世界にもイチョウやモミジやナナカマドは存在する。けれど此処にはポケモンの世界の木々は無い。世界が違うのだから全てが丸っきり違っていても良いのに。パラレルワールド。並行世界。そういった類の関係の二つの世界だから、なのだろうか。答えは決して出されない。思考は進まない。こんな無駄なことを考えていたって無駄なのだ。彼は止めていた歩を進めていた。

 例の遊具の周りには、誰も居なかった。相変わらず其処だけが他の空間から取り残されているかのように佇んでいる。この中が異世界への入り口だと、誰が信じようか。彼は自らの身を沈め、目を閉じてその時を待った──。




「……うぅん」

 次に目が覚めると、予想通り、例の森に居た。ガーリィは前足でその感触を確かめるかのように顔を擦った。うん、間違いない。

 すぐに四肢で立ち上がり、森の中を一目散に駆け出す。向かう先は勿論、ファイア村。

 立て札の立っている入口を越えてすぐ、二人の家が見えてきた。丁度家の前にホーンが居る。

「おーい、ホーン!」

 けれど声をかけた瞬間、ガーリィはあることに気がついた。いつも笑顔のホーンが、何処か浮かない顔をしている。ホーンは声に気がつくと、ハッとして顔を此方へ向け、すぐに何事も無かったように笑顔を作って出迎えた。

「ガーリィ! 久しぶりだね、何日ぶりだっけ?」

「四日だと思う、元気してた?」

 うん勿論、と答えを返すホーン。

「なかなか来れなくってさ──それより、さっき浮かない顔してたみたいだけど、何かあった?」

 え、と不意を突かれたように一瞬固まる。でもすぐさま首を横に振った。

「ううん、気の所為だよ」

「そう? なら良いんだけど」

 それよりウチにあがっていかない? と誘われ、ガーリィは喜んで承諾した。さっきのことが気になるが、それはまた後で良いだろう。そう思った。

 それから暫く二人はとりとめのない話をした。最初はガーリィが現実世界での自分のことを話し、その後話題はこの村のことに移り変わっていった。今の季節は木の実の収穫がピークを迎える時期らしく、ホーンも度々その手伝いに行っているのだという。勿論自分の分も確保しなければならないが、村全体の分が先決される。備えあれば憂いなし、来たる冬には万全の状態で臨まなければならないのだ。

 後でまた採りに行くんだけど、一緒に行く? ガーリィは二つ返事で頷いた。たまにはそんな仕事も悪くないだろう。

 そしてBTのことへと話題を振ろうとした時、家のドアがノックされるのを聞いた。開けてみると、其処に居たのはドンすけだった。

「あ、ガーリィ来てたのかよ」

 今まで何処ほっつき歩いてたんだよ、とからかうドンすけ。いや自分の世界に帰っただけだし、とガーリィは反論する。まるで村に居る方が普通のような言い草だ。しかし自分自身そのような錯覚を感じてしまうことが時々あることに、彼は少々戸惑いを覚え始めていた。

「まぁ丁度良い、来て欲しかったんだよ」

 唐突にドンすけがそんなことを言う。僕に? と訊くと、お前ぇ以外に誰が居るんだよ、と言われた。ホーンと目を合わし、それじゃ後でまた来るから、と先の約束を確認し合った。どうせ僕を呼ぶってことは、BTのことで話があるのだろう。それなら大して時間はかからない、そうガーリィは踏んでいた。そうしてドンすけと共にホーンの家を後にした。




「随分間が空いたな、あれから」

 村の中央の方へと歩く道の途中、ドンすけは呟いてガーリィを見下ろした。

「仕方ないじゃん、僕だって忙しかったんだから」

 不満そうに頬を膨らませて視線を返す。「それより、どうなったの? アレは」

「そのコトなんだが」

 予定していたように口を開いたドンすけだったが、語尾を濁してそのまま固まってしまう。妙な間が、二、三秒空く。

「……先に見て貰った方が早ぇな、来いよ」

 彼はそう言うと、それ以上は何も言わず、唯黙って歩き続けた。普段から寡黙なところがあるのはガーリィもよく知っていたが、今日の様子はそれとは少し違う気がした。

 もしかしたら、後釜がまだ決まっていないんじゃないか。一瞬そんな予感が頭を過る。でもあれから四日も経っているのだ。もし事実なら大問題であることには違いない。ドンすけの表情も冴えないし、今日も話し合いが揉めに揉めていたんじゃないか──思考が其処まで飛んでいた時、目の前のドンすけが立ち止まった。村の中央の湖の前。其処には昔の、現実世界でいう江戸時代にあったような立て札が立っていた。そしてその上から真新しい紙が貼ってある。読んでみろよ、とドンすけが言う。

『ファイア村BTより

  先日BTのレギュラーの先鋒であるメブキが怪我をしたことは皆も既に知っているだろう。

  其処で急遽その穴を埋めるべく代役を選考することとした。

  これより五日後の午後から選考会を行う。年齢・性別・BT所属の有無を問わず、挑戦したい者は挙って参加して貰いたい。

  尚我々はあくまで実力を優先させるということを忘れないで欲しい。

BT主将 ウィン』

「え、これって」

「そう、本当だ。選考会は嘘じゃねぇ」

 ハッキリとドンすけは言う。「いつもだったらこんなコトしなくても補欠の連中から決めるんだが、今回はタイミングが悪くてな」

「タイミング?」

 どういう意味? とガーリィは尋ねる。知ってるだろ? とドンすけは返す。

「ウチのBTの補欠、つまり準レギュラーは全部で三人──ユウダイ、リーフ、ショウタだ。順当に行けばユウダイが昇格するし、他の二人だって悪くはねぇ」

 けど、と続ける。

「三人とも大事な欠点を抱えてる、勿論それを克服出来りゃ問題は無ぇ、でも今はまだ其処まで至ってねぇ。──まだ早ぇんだ」

 複雑そうな顔をして、ドンすけは喉をグルゥと鳴らす。

「でも穴は埋めなきゃいけないんでしょ? だったら」

「その通りなんだよな」

 彼はますます複雑そうな顔をする。

「だからキャプテンは三人にハッパをかける意味で選考会を開くことにしたんだ。このままじゃ不味い、変わらなければならない、ってな」

「成る程ねぇ」

 確かにその判断は悪くない、とガーリィは思う。

「だけどそれで覚醒出来なかったら、或いは精神的に参っちゃったらどうするの? かえって逆効果なんじゃ」

「俺もそう言ったさ、でもそんなにヤワじゃないってキャプテンが言うし──俺もそうは思うけどよ」

 何となくイライラしている顔つきになってきた。居ても立っても居られない、やっぱり心配症なんだ、とガーリィは思った。

「ところでさ、コレ、どうして“BTだけ”にしなかったの? 今更外部から入りたいポケモンがやって来るとは思えないんだけど」

 そのことに触れた途端、ドンすけの動作が止まった。何か不味いことでも訊いたのだろうか。

「……それなんだよ、お前ぇに言わないといけねぇコトってのは」

 後頭部を掻きやり、いかにも面倒臭そうにするドンすけ。周りに誰も居ないことを確認してから、ガーリィに小声で言う。驚くだろうけど、と前置きをする。

「キャプテンはな、……ホーンにも頼んだんだよ、BTに来ないかって」

「……は?」

 今、何て言ったの? 耳が腐っていないとしたら、……え?

「だから、ホーンに『BTに来ないか』っつったんだよ」

 暫しの沈黙。思考が停止する。目の前が白くなったようにガーリィは動かなかった。

「……な、何で?! ホーンはバトル恐怖症だよ?! 僕だってこの前、そのコトで傷つけちゃったのに、どうして……?!」

「声がでけぇって」

 静かにしろよ、ドンすけが言う。

「誰かに聞かれたらどうすんだよ、誰にも言ってないんだぜ?」

「けど、だって……」

 「言っとくけどな」人目を憚りつつ、彼は更に声を小さくして続ける。

「俺もそのコトはずっと“勿体無い”とは思ってた」

「えっ」

 突然の告白にガーリィは驚いた。

「アイツ、バトルセンスはピカイチなんだぜ? ……少なくとも俺が知る限りはな。それにアイツには“誰にも負けない能力”がある」

 一度溜め息を吐いてから、ドンすけはなおもこう言う。

「俺とアイツなら、ダブルでの息も合わせられる気はする。……そうは思ってたさ、けど俺はアイツの苦しむところを見たくねぇ、……唯それだけなんだ」

 ドンすけの瞳は何処か遠くを捉えているように見えた。期待の反面、義兄としての想いが、彼の中でぶつかり合っていた。苦悩だ。此処まで彼が言うのなら、ホーンの才能も、その苦しみの大きさも嘘ではないのだろう。

『……僕自身、本当は嫌なんだ。今の自分が』

 村を案内された日の夕方、ホーンはこんなことを言っていた。そして、先程村に来たばかりの時のホーンの表情を思い出す。あれは、このBTへの誘致に対する困惑の表情ではなかったか。そして断わっていないところを思うと、ホーン自身の中でも気持ちがぶつかり合っているのだろう。この前のスピアー襲撃事件の時だって、我先にと村の子供たちの救出に当たっていたではないか。そう考えると、やるせない気持ちでいっぱいになる。

『ガーリィ、お前はこの二人の──ポケモンサポーターになれ』

 何故あの時ウィンは“二人”と言ったのか。何故この義兄弟“両方の”サポーターに命ぜられたのか。その理由が今、ようやく分かったような気がする。

 二人は、二人で一つなのだ。そのどちらも欠けてはいけないのだ。ホーンはドンすけを実の兄のように尊敬し、ドンすけはホーンを実の弟のように可愛がっている。いつかホーンをBTに入れる、という考えがあったにせよ無かったにせよ、その選択は正しかったのだ。

 ──しかし同時に、それはガーリィへと重くのしかかる。

「僕は……どうしたら良い?」

 問いかけに、ドンすけは首を振った。

「分からねぇ、……俺自身、どうすりゃ良いんだか」

 ──きっと学校のテストより、ずっと難しいことなんだろうな、と彼は思った。




 ホーンと一緒に木の実採集に出掛けた後、ガーリィは一人で村をフラフラと歩いた。今更練習場に行く気はしない。何処かに行く当てがあった訳ではないが、兎に角今は一人になりたかった。

 木の実採集の最中、彼は何度もホーンにさっきのことを聞こうと思ったのだが、いざ声をかけてみようと思うと、その度に言葉を失った。何事も無かったように二人は振る舞い──恐らくはホーンも彼の様子が違うことに気がついてはいただろう──そのぎこちなさに疲れがドッと溜まってしまった。やるせない。嗚呼、やるせない。溜め息ばかりが口をついて出てくる。

 そんな頭を休めようと暫く歩いていたところ、誰かの声でふと我に返る。何処から聞こえてくるのかと思ったら、目の前に少し大きな(ドンすけとホーンの家を合わせたぐらいの大きさの)家があった。家の入口には「ほいくえん」という文字の可愛らしい字体の看板が掲げてある。

「ほうらヒノ、皆とお昼寝の時間っスよー」

 帽子を被ったバクフーンが小さなヒノアラシを両手に抱えて家へと戻るところだ。ヒノアラシはもっと遊びたいとばかりに、ヒノヒノ、と駄々を捏ねている。そんなヒノアラシをあやしながら、バクフーンは家の戸を開けた。と、その時、その様子をぼんやりと眺めていたガーリィと目が合った。

「ウェインさ──」

「あれ、ガーリィさん、こんなトコでどうしたんスか?」

 あぁ、いや、ちょっと、と生返事を返す。

「えっと、もしかしてウェインさんって此処に住んでるの?」

 バクフーンはにこりと笑う。

「そうっスよ、──と、こらこら、暴れないっス!」

 腕の中で暴れるヒノアラシを宥めつつ、ウェインは中へと入ろうとする。

「あ、ついでだから寄ってかないっスか? 子供たちは昼寝の時間っスから、お茶でも」

「あ、じゃあ」

 ガーリィは誘われるがままに家の中へと入っていった。

 家の中は広かった。壁に備え付けの暖炉(今は季節的に使われていないようだ)などを除けば、無駄に広い、と言うべきだろうか。それでも遊び盛りの子供たちには丁度良い広さなのだろう。

 広い部屋の真ん中に小さな布団が並んでいる。一、二、三、四、……全部で九匹のポケモンたちがスヤスヤと寝息を立てている。中にはガーリィがまだ見たこともないポケモンも居た。今のヒノアラシを加えれば、総勢十匹の面倒を見ていることになる。

「ほら、皆も寝ちゃったんスから、ヒノもお布団に入るっス」

 ウェインは床に座ってヒノアラシを下ろして促すが、どうしても嫌だというように首を振り、両の前足をいっぱいに広げて、もっと遊んで、とせがんでくる。ヒノヒノ、と声をあげる。言葉として聞こえてこないということは、この子はまだ赤ん坊なのだろう。

 困ったっスね、とウェインが持て余していると、そのヒノと呼ばれたヒノアラシはガーリィの方に興味を示したのか、トコトコと彼の方に歩いてきた。ガーリィがキョトンとして固まっていると、ヒノは鼻先をクンクンと動かし、まじまじと彼の顔を見つめてくる。それがとても愛らしい表情だったので、ガーリィはクスリと笑った。

「よしよし、良い子だからねー?」

 前足で撫でると、とても柔らかくて、ポカポカと温かさを感じた。それは赤ん坊だからなのか、炎ポケモンだからなのか。それは分からなかったが、小さな命の温もりには間違いなかった。ヒノは気持ち良さそうに一声鳴くと、ガーリィに寄り添ったまま眠ってしまった。

「あらら、ヒノ君寝ちゃいましたよ」

 ウェインも少々驚いたようで、本当っスねぇ、と目をパチクリさせた。

「人見知りはしない子なんスけど、驚いたっス」

 もしかして子供あやすの得意なんスか? と訊かれたが、当の本人にそんな気は無かった。素直に喜んで良いものだろうか。複雑な気持ちで苦笑いをしていると、ウェインが小さな布団を一つ持ってきた。ヒノを起こしてしまわないよう静かに抱きかかえ、ようやく寝かしつけることが出来た。二人はホッと一息吐く。

「飲み物持ってくるっスね、何が良いっスか?」

「えっと、何があるんですか?」

「お茶とミルクとオレンジュースならあるっス」

「それじゃオレンジュースで」

 多分“オレンジ”ジュースと味は然程変わらないだろうな、と思いつつ、寝入ったしまったヒノを見る。横一文字の細い目が何だか幸せそうに見えた。

 ウェインがコップを二つ持ってきた。あ、皿に入れた方が良かったっスか? と思い出したように言う。ううん、大丈夫ですからお構いなく、と答える。幾ら今の姿がガーディとはいえ、普通の四足動物のような飲み方はする気になれなかった。そんな妙なところだけ人間としてのプライドが働くのに理由は無い。

 コップを受け取り、両の前足を使ってゴクゴクと飲む。うん、やっぱり“オレンジ”ジュースのような爽やかな味だ。ここ暫く飲んでいなかったので新鮮な感じがする。自然と笑みまで零れた。

「ねぇウェインさん、ヒノ君ってもしかして弟なんですか?」

 上機嫌のままガーリィは尋ねる。ウェインは首を振った。

「この子は隣村の子だったんスけど、両親が亡くなって──それで遠い親戚だった自分が引き取ることになったんス。自分、弟は居ないんスよ」

 あぅ、とガーリィは固まる。訊いてはいけないことを訊いてしまったような感覚に陥った。

「ごめんなさい、そんなコトだとは知らずに」

 対照的にウェインは笑って言った。

「良いんスよ、よくあるコトっスから」

 それより自分に敬語なんか使わないでくれっス、年下なんだから、と言われ、え、本当? と思わず聞き返したガーリィ。聞けば自分より一つ下の十五歳。

「え、えっと、じゃあ、ウェイン……君、で良い?」

「勿論っスよ」

 この前ショウタに言われた時と同じだった。表面上は心を開いているつもりでも、相手の呼び方に態度が現れてしまう。ドンすけやホーンには最初から友達のように接せたのに、どうして上手く出来ないんだろう。

『自分で勝手に壁を作っちまったらお終ぇだからな』

 あの雨の日ヴァルカンに言われたことはこういうことだったんだろうか。まだ自分から心を開けていない証拠だというのか。村のポケモンたちとなかなか馴染めない理由は、自分にあるのだろうか。いずれにせよ、もう少し最初から大胆になれればなぁ、とガーリィは思う。元からの性格ではあるが。

「それにしても偉いよね、その、僕とほとんど同じぐらいの年でこんな小さい子たちの面倒を見て──」

 愛らしい子供たちを見てにこやかに微笑む。此処に居ると自然と笑みが零れるのかもしれない。

「自分は偉くないっス」

 手にしていたコップを置き、ウェインは静かに言う。

「自分に出来ることなんてこれぐらいしか無かったし、何も特別扱いを受けるようなことをしている訳じゃないっス」

 その時ガーリィは彼に起きた異変に気がついた。表情は然程変わりはしないが、急に空気が重たくなったようで、瞬間自分は何か不味いことを口走ったのだろうかと疑った。

「自分の家族を守れなかった──その代償かもしれないっスから」

「え?」

 寂しげな目を明後日の方へ向け、ウェインは何かを思い出しているかのようだった。

「自分のって……まさか戦争で?」

 間を置き、一息吐いてからウェインは首を振った。

「父さんと母さんはそうっスけど、……妹が」

 妹? と尋ねると、彼はコクリと頷く。

「逃げ延びている最中、川に落ちて、そのまま流されて……自分、助けられなかったっス」

「………」

 何も言えなかった。ウィンに初めて戦争の事実を聞いた時に似た空気。デジャヴ。この村のポケモンたちは何かしらを背負って生きている。そう、頭では理解していた筈なのに、いざもう一度向かい合ってみると苦しかった。

 でも、とウェインは言う。

「妹は生きている、そう信じてるっスから。そんなにヤワじゃなかったっスからね」

 ニコリと笑顔を作ってみせる。尚更ズキンと心が痛む。どうしてそんなに笑顔で居られるの? 果たしてそれは、時間が癒してくれた賜物なのだろうか。

「……ゴメン」

 どうしようもなくなって、その三文字がポロリと出てくる。ウェインが驚いて此方を見る。

「ガーリィ……さん?」

「……僕には分かってあげられないよ、その気持ち」

 同情出来ないから、という意味ではない。幾ら話を、人の不幸を聞いたって、身をもってそれを体験した訳ではないから、本当の気持ちになんて、自分には到底辿り着けないんだ。そう思うと苦しくて。涙すら出てこない。

「ホーンも、そうなのかな……?」

 さっきのことを思い出して呟く。その言葉に、ウェインは疑問を抱いた。

「ホーンさんが、どうかしたんスか?」

「──そうだったんスか、それで」

 今朝の話を洗いざらい聞かされて、ウェインは一度二度コップの縁をなぞってから、横目でチラリとヒノを見た。まだスヤスヤと眠っている。他の子供たちも同様だった。

「本当はまだ身内以外に伝えちゃいけないって言われてたから、……内緒だよ?」

 分かってるっスよ、と彼は答える。

「でもホーンさんが、……自分には意外に思えるっス」

「でしょ? 僕もまさかとは思ったんだけど」

 チラリと時計を見やる。午後の三時半を指していた。

「こんな言い方して良いか分からないっスけど、……ホーンさん、この村の中では一番酷いトラウマを抱えてるし、心配っス」

 そんなに? と訊けば、頷きが返って来る。

「バトルどころか練習風景もそんなに見ていられないって聞いたっスよ? 大会中はずっと家に閉じこもってるし……。ドンすけさん、いつも残念そうにしてるっス、応援に来てくれないって」

 それは辛い、とガーリィは思う。義弟に自分の勇姿を見せてあげられないなんて、どんなに哀しいことだろうか。自らの勝利に一番喜んで欲しいのは家族だというのに。

「……本当に、どうしたら良いんだろうね」

 考えるだけ途方に暮れていくことを分かっていても、こう呟かずには居られない。幾らプラス思考で頑張ろうと言っても、先が見えないのでは元も子もなかった。

 また一瞬間が空き、ウェインは口を開いた。

「ガーリィさんなら、出来るっスよ」

「え?」

 驚いて顔を見ると、彼は満面に笑みを浮かべて此方を見ていた。

「きっと何とかなるっス、そんな気がするっス」

「そんな──」

 言葉に詰まる。同じことをこの前にホーンに言われたばかりだったから。ウェインにしてもホーンにしても、二人とも、どうして笑顔でそう言えるんだろう。

「どうして……どうして、そう思えるの? 僕なんかついこの間来たばかりの余所者だってのに」

「勘っスよ」

 すらりとウェインは答える。

「ガーリィさん見てたらそう思っただけっス。……だって会ってから全然経ってないのに、そんなに考えてくれてるんスから」

「それだけで──」

 ホーンさんが羨ましいっスよ、とまで言う。

「優しいっスね、ガーリィさん」

「えっ」

 意外だった。全く予想していなかった言葉に、頬が紅く染まる。何て言葉を返せば良いのか分からずに照れていると、昼寝をしていた子供たちの内の一人が目を覚ました。

「ウェン兄、おなかすいただー」

 二人の傍にトコトコ歩いてきたのは、ウィンタースカイの真ん丸の身体をしたポケモンだった。種族名は後で聞いたが、フカマルと言う。何処までが口で何処からが腹なのか分からないような大きな口に小さなキバをチラつかせて、ウェインにおやつをねだる。ハハ、とウェインは笑う。

「マルはよくお腹が空くっスね、ちょっと待ってるっス」

 ウェインが立ち上がって厨房へ何かを取りに行く。するとマルはガーリィに気がつき、キョトンとして立ち止まる。見慣れない輩に驚いたのだろう、目を二、三度パチクリさせ、あ、と口を大きく開けて固まった。

「兄ちゃん、誰だ?」

 尋ねられ、えっと、と返答に困っているところへウェインが戻ってくる。

「ガーリィさんっスよ、ガー兄」

「ガー兄?」

「そう、ガー兄っス」

 そう言っておやつ用のドーナツをマルに与える。するとすぐさま嬉しそうにマルはがっついた。ドーナツの食べかすを口から零しながら食べているその様子は、やはり子供そのものだ。食べ終わると、あどけない表情でウェインを見上げて言う。

「ウェン兄、きょうはユウ兄たち来ないだー?」

「ユウ兄たちは忙しいんス、今夜は来れないって言ってたっスよ」

 ガーリィが会話に割り込む。

「ウェイン君、ユウ兄って?」

「ユウダイさんのコトっスよ、よくショウタさんと一緒に手伝いに来てくれるっスから」

 あぁ、成る程ね、とガーリィは納得する。そういえばこの間の夕食会では二人が代わりに面倒を見ていたんだっけ。そんなことを思い出していると、他の子供たちも次々に起き出した。

 起きる度にウェインがガーリィの紹介をし、子供たちは恐る恐る近づいてくる。怖がらないように笑顔で居たら、その内警戒を解いて群がってきた。相手に危険が無いと分かると、子供は打ち解けるのが早い。いつの間にかさっき寝たばかりのヒノまで起きてきた。もみくちゃにされ、ガーリィは身動きが取れなくなっていた。

「あ、あのね、僕はオモチャじゃ──いたっ!」

 気がつくと尻尾を引っ張られていた。子供の力とはいえ、やんちゃで遊び盛りの年頃には適わない。

「ハハハ、ガーリィさん、随分と好かれたっスねぇ」

 暢気に笑っているウェインに勿論悪意は無い。

「ウェイン君、冗談じゃないんだってば──あいたっ!」




 夕日が沈みかけた頃になってようやく彼は解放された。身体中の毛がグチャグチャになり、こりゃ何とかしないとなぁと思いながら二人の家へと向かう途中、何となく練習場へと足を運んでみた。時刻からしてもう居残り練習をしているメンバーも居ないだろうが、それでも構わなかった。理由は特に無かったが、兎にも角にも練習場をもう一度見ておきたかったのだ。

 改めて目の前にしてみると、この、村にある四つのバトルフィールドは大きく感じられた。トレーナーのポケモンたちが戦うフィールドを実際に見た訳ではないが──それよりも大きいのではないかという気がする。端から端まで走るだけでも結構な距離だ。いつか習っていたサッカーを思い出す。幾らポケモンとはいえタフであることが求められるのは仕方が無いだろう。

 誰よりも速く駆け回るウィン。空を飛べるドンすけ。尋常でない瞬発力を持つボルタ。持久戦には自信のありそうなミスト。そしてパワフルな戦い方の出来るメブキ。バランスの取れた五人であることは間違いないだろう。その一角が潰れてしまったのだから、確かに今回の離脱は痛い。

 メブキを埋めるのなら、同じくパワーのあるユウダイに任せたいところだ。が、彼の弱点をガーリィは知っていた。──致命的な、弱点を。

『ユウダイはな、トドメが刺せねぇんだ』

 以前ドンすけが教えてくれたのだが、彼もホーンと同じトラウマ持ちなのだという。彼の場合、バトルをしている最中は問題無いのだが、いざ最後、となった瞬間に記憶が蘇り、それ故に躊躇ってしまうらしいのだ。

 大差がついた勝負やダブルバトルの場合は良いとしても、シングルではとても任せられない、というのがレギュラーメンバーたちの本音らしい。甘さが命取りになることを身をもって知っているからだ。勿論それはユウダイ本人も良く分かっていることなのだが──。

(……あれ? 誰だろう……)

 いつもレギュラーの使っている第一練習場まで来た時、ガーリィはその中に誰かが居ることに気がついた。ドダッ、ドダッ、という足音。どうやらジョギングをしているようだが、時折前足をついているように見える。大型のポケモン、ラグラージ──ユウダイだ。

(居残り練習にしちゃ珍しいような……?)

 そう思うのも無理はない。確かに彼も居残り練習をしていることが度々あったが、その時は決まってショウタが一緒だった。それに大抵実戦練習をしているのだが、今日は珍しく一人で黙々と走っていた。ラグラージという種族柄、元々走りは得意ではないのだから、尚更だ。

 何周も繰り返し走った後、疲れ切ったのか、急に立ち止まって仰向けに倒れ込んだ。ハァハァと息を荒げ、右腕で顔を覆うようにして一番星が輝き始めた空を見上げる。

「……まだまだだ、俺はまだ、こんなモンじゃない……」

 その言葉を聞いた瞬間、ガーリィはハッとした。──彼もまた、必死なんだと。今回のことで頼りになれない自分がやるせなくて、本当は己を叱り飛ばしたいのかもしれない。そんな気持ちを抑える為に、ひたすら鍛錬し続けているのだ。

 彼は暫く寝転がっていたが、不意に起き上がると、また走り始めた。多分無理をしているんだとしても声をかけて止められそうにない雰囲気だった。

 キャプテンが今考えている、ある意味残酷な答えが実行されるのを、ガーリィは知っている。気不味くなり、その場を後にした──。




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