FIREの鼓動 第三部「試練」

第16章「選考会 その一」


 選考会当日のこと。

 その日のバトル場は奇妙な盛り上がりを見せていた。いつもの練習風景とは全く異なる風景。それはきっと、BTの最後のレギュラー枠をかけた戦いが行われるからだろう。

 張り切っている者、緊張している者、場慣れしているのか落ち着き払っている者──様々なポケモンたちが一堂に会した。勿論本命はベンチメンバーの三人だろう。仲の良いユウダイとショウタはリラックスする為に声を掛け合い、リーフは始まる時刻を今か今かと待ち構えているようだ。

「遅ぇな、何処行ったんだアイツ……」

 ドンすけが心配するように呟く。実は朝からホーンの姿が見えないのだ。彼が呼ばれたことは数名を除いて知らない筈なのだから、出ないのなら出ないと伝えてくれても良かったのに、とドンすけは思った。

「……僕、探して来ようか?」

 そわそわしているのはガーリィも同じだ。今にも駆け出そうとした時、ドンすけに止められた。

「来なかったらそれまでだ、……仕方ねぇだろ」

「……うぅ」

 確かに此方からわざわざ呼びに行くなんて自由な意思ではない。任せると決めたのだから任せなければ。とはいえ、歯痒い気持ちになった。

「来なければ、仕方あるまい」

 ザッと音もなくウィンが現れた。この登場にすっかり慣れてしまったのはさておき、表情を見ると少し残念そうだった。

「私が誘っても、結局本人次第だからな。……頑張る気持ちが無いのなら意味も無いだろう」

 諦めたように定位置に戻って行く彼の背中が目に痛い。それだけ期待を寄せていたのだろうか。其処までホーンを欲した理由というのは、一体何だろうか、とガーリィは思う。センスが良いのは認めるとして、それが実際のバトルに通じるのかは別の話な気がするのだが。

「そろそろ始めるぞ、参加する奴は順番に並べ」

 ボルタの一喝でその場が静まり返った。参加者は全員整列し、一人ずつ名前を言い、ボルタがそれを紙に記録していく。遠巻きから見ていたドンすけとガーリィだったが、さっきまでの雰囲気とはまるで違うことを肌で感じていた。既に緊張が張り詰めている。

 全員の名前を書き終えたところで、ボルタはチラリと周りを見た。

「──他には居ないのか?」

 その時だった。

「ま、待って!」

 広場に響くその声の方を見た時、誰もが目を丸くした。

「ホーン……!」

 其処には息を荒げて入って来た、サイホーンが居た。ホーンだ。

「……どうしたホーン、此処はお前が来るような場所では」

「ぼ、僕も、参加、します!」

 ボルタの声を遮るように彼は叫んだ。辺りはどよめいた。

 戸惑いでどよめいた群衆を、ボルタはその威厳によって、片手を上げて静まらせた。何も喋っていないのに、一瞬で黙るなんて、とガーリィは思う。

「……本気で言っているのか? 今日がBTのレギュラーを埋める為の選考会だと知っていてもか?」

 ギロリと鋭い眼光を向けて彼女は言う。一瞬圧倒されそうになりながらも、ホーンはその震える足を地面に押しつけ、言った。

「本気、です!」

 言い切った。尚更周りがざわついたのは言うまでもない。そんな沢山の視線を浴びながら、ホーンはボルタの前まで歩いて行くと、自分の名前が書かれるのを目の前で確認した。それからチラリと一瞬、ドンすけとガーリィの方を見たが、此方に寄って来ることは無かった。寄って来てはいけない──ホーンにも十二分に分かっていることだった。もし二人のところへ行けば、推薦したのがその二人ということになり、贔屓にするつもりなのではないかという憶測さえ立ってしまう。何しろレギュラーメンバーは審査員を兼ねているのだ。ドンすけも例外ではない。

(……大丈夫かな、ホーン)

 たった一人で他の参加者の中へと歩いて行く彼の後ろ姿を見ていると、心配で仕方が無かったが、どうすることも出来ずに遠くから見守るしかないのだった。




 選考会は一次と二次の二回に分けて行われることになった。

 一次選考は至って単純な体力審査。村の練習場からスタートして、向こうに見えるそこそこ高い山(山と言うよりは、丘が少し大きくなったようなところ)を登り、折り返して降りて来て、ミーティン海を望める浜辺にまで行き、そして練習場に戻って来るという、いわばマラソンレース。目算なので正確な距離は分からなかったが、ざっと十キロぐらいはあるだろうか。とても走れる距離じゃない、自転車ならまだしも、とガーリィは思った。其処までの距離は経験していないのだ。

 ボルタは山の方に行き、ミストは練習場で待機、キャプテンであるウィンは彼らを遠巻きに追いかけ、ドンすけはその様子を空から観察する。何よりもレギュラー陣に囲まれているのだから、参加者もズルは出来ない。普通のマラソンとは言えないような気がした。

 合格者は上位十名までとする、とウィンは言った。種族によって早い遅いはあるものの、距離と起伏を考えれば良い具合に平均されるだろうというのが考えの魂胆だ。

 白い粉で書かれたスタートラインに並んだ──参加者はざっと三十名程だろうか。

「位置について──」

 緊張が走る。四足の者、二足の者、それぞれが先を見やる。

「用意──」

 グッと力が篭る。前屈みになり──

「スタート!」

 ウィンの掛け声で全員が一斉に、飛ぶようにスタートを切った。土埃が舞う、砂埃が舞う──

 そうして彼らが十数秒後に練習場から出て行くと、さて、とウィンも歩き始めた。この場で待機のミストを振り返る。

「では、此処は任せたぞ」

「あぁ、行って来てくれ」

 ミストがそう返すと、風を残して彼は瞬時に消え去った。恐らくは数分も経たない内にあの集団に追い付いてしまうのだろう。はぁ、とガーリィは溜め息を吐く。

「……ねぇミストさん、本当にホーンを出しても良かったのかなぁ」

 呟くと、さぁな、という声が返って来る。そしてこれだけ呟いた。

「自分で決めたのだから、きっと自分で道を切り拓くだろう」




 スタート地点から離れ、場面は山の手前の辺りの道に移る。

 当初からの予測通り、まず抜け出したのはリーフだった。ジュプトルは身軽な種族だ、後ろの軍団をグングン引き離す。既に数百メートル程差が開いただろうか。

 二番目に走って来るのはワニノコのショウタ。流石に準レギュラー、小さいナリとはいえちょこまかと動ける身体の利を生かしている。ジャンプ力だけならリーフにも劣らない彼の脚力なら順当な位置だった。

 その二人を土煙を上げながら追っているのはラグラージのユウダイと──居た、此処にホーンが居た。ほぼ同等のスピードで走って来る。重量級の二人が巻き上げる土埃が酷く、そのすぐ後ろは誰も走ろうとしない。数メートル感覚を空けてから次の集団が追ってくる。差がそれ程開いていないのを見る限り、やはりこの埃を避けているようだった。

 その後から来るのは、ロコンのサリア、キリンリキのカポル、ビブラーバのビリー、リザードのクラッチ。ヒトカゲのブレイを含めた集団はその更に後方に位置している。

 遠巻きに見ていたウィンは、ふと誰かが居ないことに気がついた。唯一の鳥ポケモンが上位陣に居ないのである。

 可笑しいと思ったウィンは、上空のドンすけが監視を続けているのを確認すると、彼らの走って来た方へと逆走していった。すると、村から出たばかりの辺りの道に誰かが倒れていた。──ムクバードのスタールだ。毛並みが酷く汚れて傷だらけだった。

「おい、大丈夫か?」

 声をかけられると、スタールは震えながら首だけ起こして弱々しくこう言った。

「あの土煙に巻き込まれて、バランスを失ったら皆に吹っ飛ばされて……侮れんです、気迫に負けちまったようです」

 鳥ポケモンは森の木々の高さを超えて飛行してはいけないルールだったが、そのルールがどうやら災いしたようだ。──まずは一人脱落。




(さて──どうやって登るか)

 山道を駆け上がりながら、リーフはこの先の道のことを思い出していた。山頂への道は中腹の辺りで二つに分かれている。片方は緩やかで走り易い道だが距離が長く、もう片方は岩場を登る険しい道だが思い切ったショートカットをすることが出来る。

 自分の脚力をもってすれば岩場であろうが問題は無いだろう。しかし今回はこれを登るだけが目的ではない。まだ距離としては半ばにも差し掛かっていないこのポイントで思わぬ怪我をしてしまうと、その先に響いてしまう。後続とはかなりの差が開いたが、持久力で言えば自分が勝てるという保証は無い。だから尚更迷っていた。

 チラリともう一度後ろを振り返る。次にやって来るショウタは森の木々に阻まれてその姿を捉えることが出来ない。離れた距離がどれ程なのか、リーフには知る術が無かった。

(──登りだけでも行ってみるか)

 それが自分でも気がつかない焦りからだとは、この時の彼には思いもしなかっただろう。──彼は岩場の道を選んだ。




(二人に追い抜かれたりしたら大変だし、どうしよう)

 二番手のショウタも同様に悩んでいた。歩きや軽いジョギングで登る程度には困らない岩場の道だが、競争となると話は違う。この分かれ道は駆け引きの為の分かれ道だ。スタート前にウィンは言っていた。どちらを選んでも構わない、と。つまり試されているのだ。

(俺は──)

 チラリと後ろを見やる。相変わらず物凄い勢いで走る二人の向こうは、まだそれ程沢山の人数は居ない。どちらにしても選択は自身が決めることに変わりない。

(左に──行く!)

 後続がやって来る前に、リーフがどちらに行ったのかは分からずに──ショウタは堅実に緩やかな安全な道を選んだ。




(さて、俺はどちらで進もうか)

 ドダッ、ドダッ、と地響きを響かせながら、鰭のような前脚を掻くように走るユウダイ。その隣にはほとんど同じスピードで走るホーンが居た。

 そのホーンを一度横目で見やる。さっき彼が名乗り出て来た時はユウダイも驚いた。自分以上にトラウマを抱えているホーンが、彗星の如く参上したのだ。脈絡の無さは、誰がどう見たって意義を唱えるだろう。正直な話、ユウダイもあの場で何かを言いかけていたのだが、ボルタの視線に圧倒されて何も言えなかったのだ。

 唯、ホーンのポテンシャルが高いという話はドンすけから嫌という程聞かされていた。こうして一緒に走っている内に、段々とその違和感は無くなってきていたのも事実──現に自分と同等の走りが出来ているのだ。

 今は唯、自分と一緒に走るライバルとして意識しなければいけない、と彼は思い始めていた。だからこそ、この先の道の選択は自分のベストを尽くしたかった──ところが、頭ではそうやって自分のことを考えているのに、次の瞬間の行動はそれと相反するものだった。

「──ホーンさん」

「ふぇ?」

 息を吐きながら、ユウダイは隣のホーンに尋ねた。

「俺は右の険しい方に行く、もし不慣れだったら左の緩い道を行った方が良い──怪我をしたくなかったら」

 え、とホーンはユウダイの方を見ながら驚いた。何せ彼はそんなことを考えている余裕も無かった。兎に角この選考会に出たという、それだけのことで精一杯だったところへ、ユウダイのこの言葉だ。すぐにこの先の道のことを思い出し、思考がクリアになる。思わず訊き返してしまった。

「どうして──僕に?」

 ドダッ、ドダッ、と足音を立て、断続的な呼吸を続けながらもユウダイは言った。

「──俺にも、分からない」

 たったその一言だけを言い、彼は分かれ道を右に行った。ホーンはそのアドバイスに乗って左の緩やかな道へと、その袂を分かち合った。その質問の所為で考える時間が失われてしまった。しかし足を止めることは許されない。ホーンは後ろ目でユウダイを見ると、一人でその先の道へと進んで行ったのだった。

(ユウダイ、さん──)




 この時の二つの選択が、思わぬ方向に左右しようとは、まだ誰も思いもしなかった──。




←BACK  NEXT→

RETURN