FIREの鼓動 第三部「試練」

第17章「選考会 その二」


 ドンすけは、上空から見守ることしか出来なかった。

(大丈夫なんだろうか、アイツ)

 誰が選ばれるのか、そのことへの不安はドンすけには無かった。メブキが出られない以上、その代わりになる者が埋めるだけのこと。どっちにしろ自分やウィンが頑張ればカバーなんて幾らでも出来る。そんなことよりも──と言えば、無責任とか不謹慎とか言われるかもしれないが──彼の心配事はホーンただ一人に向いていた。突然の参戦に良くは思わない者もこの中には居るだろう。選ばれるにしろ選ばれないにしろ、ホーン自身が潰れないか、それが一番不安だった。正直なところ、彼の心の中では、結果は二の次になっていた。

 監視を続ける彼の視線は山の中腹へ向けられる。先程二又に分かれる道をそれぞれが選択して過ぎ去った後だから、同時それぞれのルートを確認しなければならない。まずは緩やかな道の方を確認しに行く。

 此方のルートの先頭をひた走るのはショウタ。堅実な走りで後続集団を突き放し、既に頂上までの六割を登り切ったところだ。それから遅れてホーンが続く。ドダッ、ドダッ、という激しい走り。土埃が上がるので何処に居るのか発見し易い。

(まだ、か)

 そんな義弟の姿を捉えつつ、ドンすけは何かを思う。恐らく村でも知っている者が少ないだろう。しかし見せつけるのはまだ早い。第一、見せるのはドンすけではない。ホーンだ。でも二人は見えない何かで通じ合っているのだろう、ドンすけはその後続を確認してから、もう一つのルートを確認しに行った。

 険しい道の方はチャレンジャーも少ないようだ。もう後少しで登り切るリーフ、八割方登ったユウダイ、そして僅か数匹だけ。ゴツゴツした岩場を、リーフは軽やかなジャンプで岩から岩へと飛び移り、ユウダイはがっしりと四足を使ってクラミングしていく。

(こっちで波乱は無さそうだな)

 そうドンすけが思ってから間もなく、リーフが岩場を登り切った。すぐさま奥のチェックポイントへと向かう。其処には岩場の前でボルタが立って待っていた。

「一番乗りはリーフか、予想通りだがな」

 ボルタが声をかける間もなく、彼女の背後の岩を回り込み、元来た道を走り去って行った。言葉の一つや二つぐらいは返す余裕があるだろうと思っていたボルタは、その素っ気ない態度に意外そうな表情をしていた。

(……何をそんなに焦っている、リーフ)

 遠ざかる彼を、睨むように見据える。レギュラー内の予想でもリーフがトップということは予想されていた話だ。何も狂ってもいないのにも関わらず、リーフの表情には余裕など微塵も無かった。

(それ程メブキの存在が大きかった、というコトか)

 数日前の光景が脳裏を過る。練習が終わり誰も居ない練習場で独り残り、誰でもない目の前の虚空に、何度も何度も悔しそうに叫びながら技をぶつけていたリーフ。畜生、という声が漏れる度に彼の身体が震えているのを、ボルタは遠巻きに見ていた。親友の悲劇に、彼自身も余程ショックだったのだろう。

(メブキ……)

 岩道を下りながらリーフは親友のことを思う。バトルの仕方で口論し合うことも度々あった。リーフにはリーフなりの戦い方の理念がある。しかし一たびバトルに負けるとメブキの意見に首を横に振れなかった。とは言え敗者が勝者に従うのとは違う。心の奥底で身体し合えているからこその繋がりだった。

 メブキが怪我をした時、彼は誰よりも真っ先に練習場へと走った。土砂降りに変わる雨の中、後ろ足を押さえてうずくまるメブキを見た。視界の端で真っ青な顔をして立ち尽くしているショウタが居た。オマエガ。オマエガヤッタノカ。芽生えた恨みの感情を、此処数日間抑え込むのに精一杯だった。落ち着け俺、落ち着け。もう何度唱えたか分からなかった。

 思考を一度断ち切り、チラリと後ろを振り返る。誰の影も見えない。自分の後を追って来ている筈のユウダイはまだこの下に居るのだろう。このまま走り抜ければ問題無くトップでゴールするだろうという自信はあった。ウィンやドンすけに次ぎ、ボルタよりも速い足の持ち主だ。当然と言えば当然だ。

 お前らとは覚悟が違うんだよ、と後ろを一瞥し、残りの下り坂を駆け抜けようとした瞬間、事は起こった。

(……? 何の音だ……?)

 唐突に聞こえて来た低周波。何かの唸り声とは違う、地鳴りのような音。大地を震わせるような振動が足の裏から伝わって来る。

(!? まさか!)

 気付いた時にはそれは現実のモノとなる。そう、地震だ。唯でさえ不安定な岩場が不気味な音を立てて崩れて行く。当然その上に乗っていたリーフも例外ではなかった。バランスを崩して転倒したのも束の間、その乗っていた岩すらもが足場を失って落下する。

「うわあぁぁぁ!?」

 思わず悲鳴があがる。このまま崖崩れに巻き込まれてしまえば一溜まりも無い。一瞬の恐怖に彼は思わず目を瞑る。もう駄目だ、なんて思う刹那も無かった。

 しかし次の瞬間、彼の身体は宙に浮いたまま静止していた。誰かに腕を掴まれた感触。片手で宙ぶらりんの状況で、崩れた岩が崖下に落ちて行った音が遠くに聞こえる。目を開けると、其処には自分の左腕を掴んだユウダイが居た。

「! ユウダイ!?」

 まだ安定していた岩場を捉えつつ、そのラグラージはジュプトルの軽い身体を必死に掴んで離さなかった。鈍い大きな音が下の方で聞こえた。見ると、さっきまで乗っていた岩場が完全に崩れ去った後だった。巻き込まれていたら命は無かっただろう。思わず背筋が凍りついた。

「だぁ──あっぶなかった」

 そう一言呟くと、ユウダイはリーフを自分の居た岩場へと引き上げた。

「大丈夫か、リーフ」

「……あ、あぁ」

 選考会の途中だというのも忘れていた。済まない、とリーフが頭を下げると、たまたま居合わせて良かった、とユウダイは苦笑する。もしユウダイが同じこの道を通らなければ、そう思うと気が気ではなかっただろうが、この時は其処まで思考が回らなかった。

「それよりその足──」

 言われて自らの右足を見る。先程の崖崩れの時に負ったであろう掠り傷で血が滲んでいた。何度か足踏みをしてみる。軽く痛むが走れない程ではないようだ。

「大丈夫だ、先に戻って軽く治療して貰えば良い」

 それより他人の心配してる場合か、と彼は思い出したように言った。ユウダイにはまだ登りが残っている。そんなコト分かってるさ、と余裕のありそうな表情をしてみせるユウダイ。地面タイプを馬鹿にするなよ、と言いたげだった。

「──でも」

 ユウダイに背を向け、彼は告げた。

「レギュラーの座は譲らねぇからな」

「……それはお互い様、だろ?」

 お互いの表情を見る必要はもう無い。そのやり取りの後、それぞれが次なる目的地へと走り出していた。




 一方その頃、ボルタの居るチェックポイントの周辺でもアクシデントが発生していた。

「参ったなぁ……これじゃ下りられないよ」

 ショウタを除いた緩やかな道を選んだポケモンたちが道の途中で立ち往生していた。どうやら先程の地震で土砂崩れが起きて道が塞がってしまったらしい。幸いにも巻き込まれた者は居なさそうだが、先を走っていた筈のショウタが見当たらなかった。無事に先を走っているかは確認が取れそうにない。上空に居るドンすけや地上を追いかけているウィンは知っているかもしれないが、聞いている余裕も無い。まず自分がこの先に進めるかが問題だった。

 勿論この中にはホーンも居た。その他の面々と共に崩れて通れなくなった山道の前で呆然としている。

「どうするよもうー」

「下りられないんじゃ合格出来ないなぁ」

 ざわめく群集。諦めと溜め息が入り混じるのも無理は無い。何せ選考会中の事故は中止の材料にならないと先に宣告されていたからだ。つまり事故があろうと待ったは無し。この道を通ることの出来ない者は脱落するしかないのである。

(……もう此処で、終わっちゃうのかな)

 自分を奮い立たせてまで出場を決めたのに、不慮の事故でその意味を失いかけている。ホーンは釈然としない気持ちを抱えていた。これは諦めた方が良いという天のお告げなのかとまで考えた。

(でも……)

 ウィンにBTに来ないかと声をかけられたあの日のことが蘇る。バトル恐怖症だと知っているのにあえて口に出したウィンの心情は、一体どんなモノだったのか。自分を過大評価し過ぎだと思ったし、恐怖に打ち勝てる自信も無かった。何より自分にその話が飛んでくること自体、筋が通っていないとさえ思った。

 だが、ウィンのもう一言が、頑ななホーンの心を揺り動かしていた。

『お前には誰にも負けない武器がある。それに──何より頑張り屋で一途なお前のその真っ直ぐな心が、私は欲しいのだ』

 頑張れるのなら頑張りたい。いつだってホーンはそう生きて来た。その生き方を褒められて、嬉しくない筈が無かった。それに何より、バトルが怖いのであって、バトルをするコトが嫌いな訳ではないのだ。

 周りが諦め始めた中、ホーンは突然その場を引き返し、何処かへと走り去って行った。

「……おい、アイツ何処に行くんだ?」

「さぁ……?」

 それを見ていた数人がそしてその声につられるようにヒトカゲのブレイが、不思議そうに彼の後ろ姿を見送っていた。

(どうしたんだろう、ホーンさん……)




(こんなにゆっくりで大丈夫なのか……?)

 チェックポイントから戻り、急斜面の道を全て降りて来たラグラージ。下の方にはさっき崩れた岩がゴロゴロしていた。既に姿が無いのを見ると、リーフは無事先へと進んだらしい。ユウダイはそのことに安堵しながらも、タイムロスの影響がどれ程出ているのかが気になり始めていた。他のメンバーは今頃どの辺を走っているのだろう。そう思って緩やかな道の方を見やると、見慣れたワニノコの姿があった。此方に向かって走って来る。

「あれ、ショウタ?」

 意外なタイミングで鉢合わせた二人。ショウタの方も気付き、おぅ、と返事をすると軽く走り出したユウダイと並走を始めた。

「意外だな、もっと先に行ってるかと思ってたのに」

「俺もそのつもりだったんだけど」

 不機嫌そうに眉間にシワを寄せるショウタ。

「さっき地震があったろ? あれで土砂崩れが起きてさ、危うく飲み込まれかけたよ」

「え、そっちも?」

「そっちもって、そっちの道も?」

「勿論。崖崩れで危なかった」

 どうやらどちらの道を選んでも状況は然程変わりなかったらしい。二人はお互いに納得すると視線を前に戻し、何も言わずに暫く走り続けた。

「──それで」

 浜辺近くまで来た辺りでユウダイの方が口を開いた。

「他のメンバーは? 全然来ないみたいだけど」

 チラリと後方を見やる。山から此処まではほぼ直線の道が続いているのに誰の姿も見つけられない。両脇の森は至って平静を保ったままだ。

「俺が通った後は道が無くなってたから、まだ上の方で立ち往生してるかも」

 予感はしていたが、どうやらこの様子だと本当らしい。つまり自分たちと、先に行ったリーフのみがあそこを突破したことになる。何てこった、とユウダイは思う。これではもうレースにならない。

「結局俺たち三人か──」

 だろうな、とショウタが呼応する。どの道この分だと数分もすればゴールまで辿り着ける。安堵の溜め息を漏らすと、海岸はもう目の前だ。このチェックポイントを通過すれば後はあの練習場に戻るだけ、もう何事も起きない──そう思った時だった。

「──? 何の音だ?」

 背後、山の方角から地響きが聞こえてくる。先程の地震とは違い何かが物凄い勢いで此方へ向かってくるような──二人が振り返った瞬間、とんでもない光景が其処にあった。

「お、おい、あれって!?」

「俺に言われても分かんねぇよ──ぅわあぁ! こっちに向かってくる!?」

 巨大な岩の塊が二人を目掛けて、二人が走る何倍ものスピードで、ゴゴゴゴ……という轟音と共に転がってくる。唯の岩の塊には見えない。何かの意思を持ったような──。

 二人は咄嗟に道を譲る。が、通り過ぎる瞬間にそれが何であるかを理解した。岩の塊などではない──そう、ホーンだ。ホーンが“ころがる”を発動させているのだ。ホーンはあっという間に二人を抜き去り、海岸へと転がって行った。

(まさか、あの崖を一気に下って来たって言うのか──?)

 つまりはそういうこと。どの道を通って山を降りたのかは分からないにせよ、あの速度を見る限り、ほぼ直線的に斜面を下ったことになる。あの岩場を、岩の塊の如く転がって来るとは、何とも無茶苦茶な話だ。全てはサイホーンの強靭な身体のお陰。とんでもない敵が出現した。

 ポカン、と呆気にとられた二人。が、次の瞬間にハッとする。

「いけねぇ、追っかけないと!」




(遂に使ったのか、アイツ……)

 上空でその様子を見ていたドンすけは、空中で静止しつつ、腕を組んで喉を鳴らした。

「アイツの“ころがる”は──俺も追いつけねぇんだぜ」

 ニヤリとし、独り言のようにそう呟くと、彼は三人の行方を追った。

 ──レギュラー代役は、四人に絞られた。




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