「……ねぇ、僕はいつになったら帰れるの?」
「俺に聞くなよ、……大体決めたの俺じゃねぇんだし」
雨が滝のように降る中、ドンすけと一人の人間は一つ屋根の下に居た。
(……何でこんなコトになっちまったんだろうな……)
窓に凭れかかりながらドンすけは思った。あの後、彼──人間は、「暫く休むと良い」と言われて半ば強制的にドンすけの家に入れられた。と言っても、その直後から土砂降りの雨が降り出し、村の外の森から元の世界へ帰ることも出来なくなってしまったのだから仕方なかったのだが。
しかしドンすけから見たら明らかにはた迷惑な話だ。幾ら自分のピンチを救ってくれたとはいえ、突然何処の誰だか分からない奴が来て、いきなり自分の家に上がりこんだのだ。そしてすぐ目の前に──。チラリと後ろを見やると、彼は自分のお気に入りの切り株の椅子に座っている。
ドンすけは一度溜め息を吐き、振り返って彼に問いかけた。
「……そういや、名前何て言ったっけ?」
とりあえずこの、気不味い雰囲気は打開したい──そんな思いからだろうが、何とか振り絞れた言葉はそれだけだった。
「ガーリィ」
「あぁ、そっか、ガーリィか」
「短くされたのはビックリだったけどね、正直」
そう言って人間は苦笑した。──本名は何て言ってたか覚えてないけど、確か長くて呼びにくいからって、頭の2文字を取って呼び易くしたんだっけ。そんなことを考えつつ、ドンすけも向かいの切り株に座る。
「で、ガーリィ? 長老から何話されたんだ?」
「何って──僕もよく分かんないよ、いきなりだったし」
「……だろうな」
「雨が止むまでこっちに居ろ、元の世界に帰っても時間は全然進んでない筈だから心配しなくて良いって」
何でそんなコト、長老が知ってるんだろう。一度別の世界にでも行ってきたかのような口ぶりだ。もし確信が無いとすれば、単にコイツを引き止める為の口実なんだろうな──ドンすけは軽く溜め息を吐いた。
「……やっぱり、邪魔だよねっ? 僕がこんなトコに居ちゃ」
その声を聞き、ハッと顔を上げる。此処で愛想の良い言葉を使うのが正しいのか、ドンすけには分からなかった。しかし此処で嘘を言ったって虚しくなるだけで何にもならない──だから正直に話すことにした。これはドンすけの信条なのだ。
「正直は、な。──けど長老が決めたコトだ」
「……だよね」
何処か寂しそうな声だった。嬉しさ半面、たった一人で異界にやって来た寂しさが彼の背後に見え隠れする。尚更ドンすけはどう接して良いのか分からずに戸惑って居た。
「……ねぇ、僕、どうしたら良いんだろう? 何処に居て、何をしたら良いのか全く──」
そうガーリィこと人間が呟いた時、家の戸口を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
入ってきたのはサイホーンのホーン、全身びしょ濡れの姿だった。
「おっ、ホーンか」
「……ふぅ、外は凄い雨だよ」
「其処にタオル置いといたからな、使えよ」
「分かってるよ」
そう言うとホーンは後ろ足で立ち上がり、入口の脇に置いてあった竹籠の中から大きいタオルを両前足を器用に使って取り出し、そのまま全身を拭き始めた。その様子を見て感心したのか、ガーリィは溜め息を漏らして言った。
「やっぱり凄いよなぁ、……ホーンって器用なんだね」
拭き終わると再び四つんばいに戻り、此方へと歩み寄ってきた。
「まぁね、よく言われるよ──四本足の癖して、って。……それより、キャプテンが呼んでたよ? 君のコト」
「僕?」
ホーンは頷いた。
「何だか良く分かんないけど、話があるってさ。──キャプテンの家、分かる?」
「あ、えっと──」
「分かる訳ねぇだろ」
ガーリィが答えるよりも早く、ドンすけは立ち上がった。
「連れてってやるよ、……ほら、行くぞ?」
「あ、うん」
「あっ、僕も!」
そうして三人は雨の中、家を出た。
雨音が淡々と続く中、ガーリィはリザードンの背中を追いかけながら歩いていく。彼に渡されたのは──何処かから取ってきたのだろう──大きな葉っぱだった。即席で傘にした所為か、あちらこちらに穴が開いていて、其処から冷たい雫がポタリポタリと垂れてくる。
(……やっぱり嫌だよね……突然来た奴に図々しくされるのって……)
ドンすけは何も言わないが、薄々ガーリィにも分かっていた。明らかに嫌がってる。面倒臭がってるし、何やり自分と目を合わせようとしないじゃないか──。
けれどその反面、いやに気を遣っていることが気になった。どうしてだろう。自分には到底理解出来ない、何かが其処にはあるような気がして仕方が無かった。
「……大丈夫? やっぱり疲れちゃうよね、いきなり色々引っ張り回されたら」
隣で歩いていたホーンが心配そうに此方を見つめてくる。確かに内心彼の言う通りだ。けれど一番親身に接してくれているホーンに不要な心配はかけたくなかった。すぐに笑顔を作って見せた。
「ううん、大丈夫だよ」
「そう? それなら良いんだけど──」
そんな2人をよそに、ドンすけは淡々と先を歩いていく。雨に負けまいと、尻尾の炎は煌々と燃え上がっている。その光のみが辺りを照らしていた。──段々と日も傾いてきたのだ。
「連れてきたっすよ、キャプテン」
3人はキャプテンことウィンの家にやって来た。入ってすぐに気付いたのは、室内がまるで竪穴式住居のようだということ。ドンすけの家と同じログハウスだが、打って変わって近代的なモノが何処にも無かった。床に敷いてあるのは──寝床だと思われるが──藁が少しだけ。至って質素な家だった。
「あぁ、済まんな」
ウィンは客人が来た途端に立ち上がって出迎えた。その優雅な立ち居振る舞い──まるで何かに惹きつけられたかのように、ガーリィは動きを止めてその場に立ち尽くした。
(……何だろう……この眼……)
不思議な感覚だった。此方を真っ直ぐ見返してくるその瞳は、自分を見たままピクリとも動かない。何故だか分からないが、期待のような、不安のような、そんな気持ちが見え隠れしていた。
しかしふと何かに気が付き、視線を逸らす。見ると隣でドンすけが大きなタオルを持って此方を見ていた。
「……俺が使ったので良かったら、使えよ」
キョトンとして自分の身体を見る。──そういえば、外は雨だったっけ。
「あ、ありがとう」
ガーリィはそう言ってタオルを受け取った。一瞬何かを考え、それは野暮なことだと首を振る。ポケモンが使った、とか何意識してんだろう僕──。おかしなことだと自分を戒め、それを振り払うかのように全身を拭く。拭き終わると、玄関の所定の位置にそれを戻した。
「それで、キャプテンさんは──僕に何の用ですか?」
すると言葉が鋭く返ってくる。
「さん、は付けなくて良い。……それに私の名はウィンだ」
ガーリィは慌てて言い直した。
「ゴメンなさい──それじゃ、キャプテン?」
ウィンはふぅと一息吐いた後、淡々と続けた。
「まぁ良い。それよりまず一つ、お前に謝っておかねばなるまい。……無理に引き止めて悪かった」
「いや、でも、僕も了承したことだし、それに雨宿りさせて貰ったし」
もう一度外を見やる。やっぱり雨が続いている。
「──引き止めたのには理由がある」
ウィンのその言葉でガーリィは現実に引き戻された。
「理由? 雨宿り──じゃなくて?」
「いや、それ以外にも理由があった。──薄々気付いていたのではないか?」
そう言って此方を見る。確かに、そんな気はしていた。
「あ、はい。何となく──」
するとウィンは此方へ歩み寄ってきた。そしてスッと前足で何かを差し出す。赤い炎のシルエット。
「これって──」
「ファイアの実、だ」
そして「ちょっと持ってみろ」とガーリィへと手渡した。
言われるがままに掌で受け取ると、その瞬間何かが手から何かが心臓に向かって逆流してきた。それと同時に実からも炎が噴き出た。ウィン以外の誰もが驚いて仰け反った。
「わっ!」
思わず尻餅をついて実を手から零してしまった。地面に落ちる瞬間には炎は嘘のように消え、後には自らの高まった鼓動だけが残された。
「……な、何? 今のってさっきの」
「やはり当たり──か」
ガーリィが驚きの言葉を挙げる間を与えずにウィンが呟いた。
「……当たり? どういうコト?」
呆然としてウィンを見る。尻餅をついたままだから、見上げる格好になった。
「何十年かに一度──いや、それより稀かもしれないが──この森に、人間が呼ばれるコトがある」
「……はぁ」
「その者は"炎の継承者"、……まさか現れるとは思ってもいなかったが」
いきなり何を言い出すんだろう。首を傾げたのはガーリィだけでは無かった。
「キャプテン? そんな話、聞いたコト無いっすよ? それに第一、コイツ、単なる迷い人かもしれないじゃないっすか」
ドンすけが問うと、ウィンは静かに目を閉じて答えた。
「ドンすけ、お前たちには話していない村の伝承だ。──それに、単なる迷い人ではないという証拠は二つある」
そのまま続けた。
「一つは、我々の言葉が通じているコト。そしてもう一つが、ファイアの実が呼応したコトだ」
そう言いつつ床に転がっていたその実を前足で転がした。
「言葉が通じる"翻訳者"(トランスレーター)は時折見受けるコトが出来る、──が、ファイアの実は"炎の継承者"以外の人間には反応しない」
「そう……なの?」
あっけらかんとして相変わらず尻餅をついたまま、ガーリィは上の空のように呟いた。それに合わせてウィンは頷いた。
「本来この実は炎ポケモンがその炎の威力を上げる為に使われる、──つまり、"炎の継承者"にはそれと似たものが備わっている、という訳だ」
「──それじゃ、ガーリィにも?」
ずっと静かに聞いていたホーンが横から口を挟んだ。
「恐らく、な」
ウィンの頷きはより確実なものとなっていく。それと反比例するようにガーリィの不安は高まってきた。
「で、でも! 僕、この世界の住人じゃないし! 普段の生活だってあるのに──」
そのまま決定されてしまうのではないかという不安。もし自分が、万が一そうであったとしても、この世界に留まる訳にはいかないんだ。そう思って。
しかしウィンは落ち着いていた。
「最後まで話を聞いて貰えるだろうか? 私は別に、何もかも捨てて此処に留まれとは言ってはいない」
「……は?」
「先に言った通り、お前が此処に居る間、お前自身の世界の時計は止まったままだ。後で帰ってみれば分かるコトだが」
ガーリィはポカンとした。胸のわだかまりが、一瞬にして消え去ったかの如く。
「帰……れるの?」
その不安を打ち砕くようにもう一度ウィンが「あぁ」と頷く。その瞬間、張り詰めていた何かが一気に解きほぐされるような気がした。
「森の次元の穴は、迷い人には唯の落とし穴だ。しかし選ばれた"炎の継承者"ならば──自身の想いでいつでも行ったり来たり出来る」
「いつでも?」
正直、信じられなかった。何が起こったんだか一瞬分からなくなった。が、次の瞬間、自分の頬をつねって痛みを確認する。──夢じゃ、ないよね?
しかしそれと裏腹に、ドンすけは慌てた。
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ! そしたらどうするんすか? 此処に居る限りは必ず何らかの"役目"を持たなきゃいけねぇのに──」
恐らく、村の決まりなのだろう。しかしウィンはそれにも動じることはなかった。
「それならもう決まっている。──それでお前たちも呼んだのだ」
「……へ?」
ドンすけとホーンは互いに顔を見合わせる。自分たちは呼ばれていなかったが、ついてくることも見越されていたようだ。 そしてウィンはまだ尻餅をついているガーリィに向かって、こう言い放った。
「ガーリィ、お前はこの二人の──『ポケモンサポーター』になれ」
この言葉が、全ての始まりだった。