それがどういうモノであれ、必ず一つは自分の役割を持ちなさい──それはドンすけたちファイア村の住人が幼い頃から念仏のように聞かされた言葉であり、暗黙の内にこの村の掟とされたモノだった。今の長老フロストの、先代、先々代、いやもっと昔から伝わってきたのだ。
『ガーリィ、お前は、ポケモンサポーターになれ』
村の中央にある湖の畔で、夜中、ガーリィは一人、その言葉を思い出していた。
この村に来て、いきなり告げられた頼み。まだ此処に来て一日も経っていないというのに。よく分からないままいつの間にかこんな状況下に置かれている自分の身が何だかとても不安定なものに感じられた。
(……どうすれば良いんだろう……)
近くにあった小石を手に取り、湖へと投げ込んだ。ポチャンという音だけが辺りに響き渡る。どうにもならない孤独に、彼は沈んでいた。
「あれ、まだ起きてたの?」
突然の声にハッとして振り返ると、ホーンだった。
「こんなトコに居たら風邪ひいちゃうよ? さっ、中に入って」
無邪気に笑うその笑顔には曇りは何処にも無い。彼は説得されるように、ズボンの尻の汚れを払い、手招きに応じて立ち上がった。
「……ねぇ、ホーン」
「何?」
呼びかけに振り返る。
「……君は……迷惑じゃない?」
精一杯絞り出した言葉。ホーンは一瞬キョトンとするが、すぐさま答えを返した。
「僕は構わないけどね」
そう言ってまた無邪気に笑う。嘘偽りなど何処にも無かった。
「どうしてそう言えるの? ドンすけなんてすっごく迷惑そうだし──大体サポーターって」
「ドンすけはいつものコトだよ」
「……え?」
思わず目と目を合わせる。
「いっつも嫌々だもん、面倒臭いコトは。けど最後にはちゃんとやってる」
「………」
メンドウクサイコト。やっぱりそうなんだ。面倒臭いんだ。
「でもガーリィが心配するコトなんて無いと思うよ? だって、頼まれたのは君の方でしょ?」
確かにそうだけど。──それでも。
「でも此処に来る来ないは僕が決めるコトだし、……第一ロクに説明も聞いてなかったし」
「何の?」
「"ポケモンサポーター"の」
あ、そっか、とホーンは呟いた。恥ずかしいが、正直気が気でなかった所為でその後の話はウロ覚えだったのだ。それを察したホーンは苦笑いした。
「そっか、聞いてなかったんだ」
「……ゴメン」
「ううん、悪くないよ。どうせ気が動転してたんでしょ?」
「……まぁ」
決まりが悪そうに俯くガーリィとは対照的に、ハハッと笑うホーン。
「僕も正直良く分かんないんだ──けど」
「……けど?」
「多分、命令するトレーナーみたいのじゃなくて、補佐をするんだろうね」
いや、それは分かるんだって。そう、当たり前のコトを言ったホーンに突っ込もうとしたが止めておいた。
「そもそもポケモン村の住人には、人間と主従関係を結んではいけないって掟があるし」
「……その前に、村に人間入れちゃいけないんじゃなかったっけ」
思い出したように呟くと、ホーンは、あ、そっか、と相槌を打った。その様子を見て尚更不安になる。
「てかさ、サポーターなんか、何になるんだろう? 邪魔が増えるだけなんじゃ」
その問いにホーンは意外な答えを返した。
「僕はそんなコト、どうでも良いんだよ?」
「……はっ? それじゃどうして?」
彼は「簡単だよ」と即答した。
「君ともうちょっと居たいなって、そう思っただけ」
「ドンすけは照れ屋さんだから言わないけど」と付け加え、にっこりと微笑む。あぁ、本当にそれだけなんだ、と納得すると、何だか嬉しかった。──僕をそんな風に見てくれていただなんて。
「ガーリィは? 僕らじゃいけない?」
「え、いや」
ちょっぴり頬を赤らめ、「僕もだよ」と呟く。顔から火が出そうだった。──ホーンったら、嬉しそうだった。
「……ところで僕、このまま村に居ても大丈夫なのかなぁ? さっき言った決まりもあるし──」
結局その謎に辿り着いた。ホーンも途端に困り顔になる。
「うーん、どうするんだろう? ……でも頼んだんだよねぇ──」
どうにも矛盾している。一方で人間は入れてはいけないと言いつつ、もう一方でサポーターをしてくれと頼んでいる。彼は何か重大なコトを聞き落としている気がした。
そう悩んでいた内に、突然ホーンがハッとして固まる。顔に出易いんだなと思いながらも、ホーンの顔の前で掌を上下してみる。
「おーい? 何かあったの?」
呼びかけられて此方を振り返る。開いたままの口が何かを言いたげだった。
「……あっ、……いや、……ハハハっ」
不自然だ。明らかに笑いが不自然だ。
「何? ……もしかして不味いコトでもあった?」
「えっ、あっ、いやっ」
決まりが悪そうにまた乾いた笑いをしてみせる。ガーリィは訝しげに彼を見つめた。
「とっ、兎も角、明日は早いし、寝よっか!」
そう言ってホーンはガーリィに背を向けて歩き出してしまった。その反応に不安を感じたが、自分ももう眠かったので、仕方なくその後をついていくしかなかった。
──何が起こるんだろう。
次の朝目覚めると、もう既にその家には誰も居なかった。
いや、正確に言えば「ドンすけが」居なかったのだ。昨夜遅くに戻ってくると、ドンすけは家の中心の土間に、藁を敷いた上に座り込んで眠っていた。彼の家は基本土の床──恐らく自分の尻尾の炎で燃えない為の工夫だろう。ガーリィは家に唯一あったソファに横になり、毛布を上からかけて眠っていた。
ところがその藁敷きの上に居る筈の彼が居なかったのだ。慌てて起き上がり、窓から外を見やると──やっぱり居た。
「あっ、おはようガーリィ」
外に出るとすぐにホーンが気付いて声をかけてくれた。
「あ、うん、おはよう」
挨拶を返し、ドンすけを見やる。すると彼は自分の翼の手入れをしている真っ最中だった。
「あの、えっと──」
ドンすけの前に行って、彼はモジモジとした。「おはよう」すら満足に言えない自分に腹が立つ。するとその様子に見かねたか、ドンすけはその手を止めた。
「……おはよう、だろ?」
「……あ、……うん」
存外普通に言われてしまい、ガーリィは戸惑った。──昨日のコト、気にしてないのかな。思わずじっと見つめていたが、「何だよ、俺の顔に何かついてんのか?」と追撃され、「いや、何でも」と言う。今まで悩んでいた自分が馬鹿みたいだった。一息吐くと、話を切り出した。
「……ドンすけ?」
「何だ?」
「……良いんだよね、ドンすけ、って呼んでも」
「構わねぇけど」
「それじゃドンすけ、昨日、キャプテンが何か言ってなかったっけ? 今日何かするって」
「は?」
二人は見合ったまま固まった。呆れとも困惑とも取れる表情で、ドンすけは此方を見返していた。
「話……聞いてなかったのか?」
「あ、やっぱ言ってた? ゴメン、昨日は何だか気が動転してて──」
「……いや、今日『何かをする』とまでは言ってたけど、具体的なコトは何も」
「『何か』?」
「どの道もうすぐキャプテンが来る筈だぜ? 何か大切なコトだから時間がかかる、だから明朝にしてくれって」
「その通りだ」
突然風が吹き抜けると、目の前にウインディが現れた。噂をすれば影、といったところだろうか。
「っとぁ?! キャプテン?!」
いきなりの登場にガーリィは驚いた。が、ドンすけとホーンの二人は全く動じる様子も無い。慣れというのは恐ろしい。
「あっ、キャプテン、おはようございます」
「うぃっす」
「二人ともおはよう。……で、ガーリィ? 心の準備は出来たか?」
「へ?」
その場がまた凍りついた。その様子を見たウィンは、何かを悟ったようにガーリィに尋ねる。
「夕べ、言わなかったか? 契約のコト」
「けい……やく?」
ケイヤク。何の話だろう。確かに気の動転であまり記憶に無かったが、そんな言葉は一度も出てこなかった筈だった。
「……? 何のコトっすか、契約って」
思わずドンすけも困惑した表情を見せる。するとウィンは、あぁ、忘れてたかもしれない、と言って苦笑した。
「契約って、何するんですか? 可笑しなモノじゃ──ないんですよね?」
その言葉を聞き、参ったな、とウィンはさっきまでの笑いとは裏腹に顔をしかめた。
「仕方ない、準備はもう出来ているし、……ガーリィ?」
「……はい?」
途端にお互い真剣な表情になる。何か重大なことだというのは、幾ら鈍感なガーリィでも分かった。
「ポケモン村では──人間と主従関係を結んではならない、という決まりがあるのは聞いたな?」
「あっ、はいっ、ホーンから聞きました」
チラリと見やると、ホーンはうんうんと頷いていた。
「それ故の『サポーター』だ、……しかし」
「……しかし?」
ゴクリと唾を飲み込む。
「ポケモン村に人間は居るコトが出来ない。……今、お前は此処に居るが、一定期間を過ぎれば追い出されるコトになろう」
聞いた話だ。──だから、その先、は?
「其処で、だ。……ガーリィ、お前には『ポケモン化身契約』を受けて貰うコトになる」
「ポケモン……化身、契約?」
どうにも言葉が鵜呑みに出来ない。言葉だけが宙に舞っているかのようだった。その時ホーンがハッとしてウィンを、ドンすけは目を丸くしてこっちを見ていた。
「簡単に言えば、お前にはポケモンになって貰う。……契約を受ければ、お前は人間ではなくなる。……そうすれば全ての問題は解決される」
「……へっ」
「キャプテン、聞いてないっすよ!?」
そう叫んだのはドンすけだった。
「慌てるな、ドンすけ。……大体決めるのはお前では無いだろう?」
「でも!」
「まず私はガーリィに訊いているのだ、……どうだ?」
そう言ってウィンが此方を真っ直ぐと見つめる。
「……どう、って言われても、……今聞いたばかりだし、……それに『人間じゃなくなる』って、そしたら僕はどうすれば良いんですか? 元の世界に──」
「帰るコトは問題ない」
ウィンは即答した。
「この契約はあくまで此方の世界での話だ。元の世界に帰れば、契約は自動的に切れ、元の姿に戻る。また戻ってくれば、再びポケモンだ」
更にそのまま続ける。
「……嫌なら嫌で構わない、が、それなら私たちとの縁はこれまでになるが」
「………」
もし、此処で縁を切ったのなら。それはそれで構わないだろう、恐らく元通りの生活に戻るだけ。何も変わらぬ毎日を、唯過ごしていくだけ──。
けれどそれで良いんだろうか。折角何かの弾みで来られた世界で、大したことも出来ないまま帰るというのは──何だか勿体無い気がする。それに、今までの生活を壊すことなく、此方の世界に来られるのなら。
「……一つ、聞いても良いですか?」
「何だ?」
「本当に──本当に僕で、良いんですか?」
ウィンは目を閉じ、そしてしっかりと頷いた。あぁ、昨日証明しただろう? と付け加える。
「……それ、なら」
心は決まった。
「──それでは、"ポケモン化身契約"の儀式を執り行う」
儀式は長老の家で行われることになった。
「これより契約を結ばん者よ──ガーリィ」
長老のラプラスはそう言ってガーリィを見据えた。彼は思わずたじろぎながらも、前へと出た。
「はい」
「お主はこの先何があろうと我らに背かぬコトを誓うか?」
「──はい」
何だかチャペルで挙げる結婚式みたいだ。彼は一瞬、心の中で苦笑いした。
「ではガーリィ、前へ出てその円の中央に立つのだ」
言われるがまま魔方陣の円の中へと足を踏み入れる。その瞬間、あぁ、もう引き返せないんだな、と思った。
「では、これより儀式を始める」
長老がスッと目を閉じた。──いよいよ、だ。
「──天よ地よ 山よ海よ この大自然に抱かれし者どもを 包み給え」
暗唱と同時に、魔方陣の各頂点に置かれていた黒真珠が白く光り出した。
「生きとし生ける者 此処に自然の掟を示さん 友よ 友よ 共に歩かんことを──」
「──?!」
光が強くなり、徐々に天に向かって伸びていき、光の柱と化す。中に居たガーリィの姿が忽然と見えなくなった。
(……何が……起きているんだろう……)
光の柱の中で、ガーリィは一人、思った。いつしか彼の身体は光に包まれて宙に浮いている。不思議と光は眩しくなかった。
「──この者を 我らと 我らと 違わん姿に 変え給え」
外から長老の声だけが聞こえる。ハッキリと聞こえたのは、「我らと同じ、姿」。
「今此処に 迷える御霊を 迎えよ──」
一気に最高点に達しようとしていた。
「契約──成立!」
(……?!)
長老の叫び声がこだました瞬間、光はその明るさを一層強くし、彼の身体を完全に包み込んだ。そして同時に、ドン、という衝撃と共に何かが彼の身に飛び込んできた。
「……あ……ぐっ……」
思わず声が漏れる。光に包まれながらも、彼は自分の身体に起きた変化に気付き始めていた。
何だか、燃えるように熱い。そう思ったのも束の間、まず身体全体からふさふさとした毛で覆われてくる。それは腰の方で盛り上がり、尻尾を形作る。 同時に全体が縮んでいくような感覚を覚えた。手の指はどんどん小さくなり、代わりに小さな尖った爪が現れ、四足動物のそれへと変わっていく。足も短くなっていき、地面に向かって真下に伸びていたのが段々と前方へと向き始めた。すると二本足ではその姿勢を保てなくなり、既に前足と化していた両手を地へ降ろすようにし前屈みになる。
一番変化が顕著なのは顔だった。徐々に上唇が前へと引っ張られ、鼻と同化しつつ伸びていく。それに合わせるように顎も肉食動物のモノへと変化する。いつしか歯も鋭くなり、上の犬歯が口からはみ出していた。耳は顔の横で姿を変えていく。上部にあった黒髪も次第にほんのり黄みがかった白へと変色し、モヒカンではないが、縦に並ぶように揃っていった。
変化が終わりを告げると、彼を包んでいた光が、宙に浮いていた彼の下降と共にゆっくりと冷めていった。すると今まで光で分からなかった、少し赤みがかったオレンジ色の体毛が彼を覆っていたことが周りに居る誰にも確認出来るようになった。口周りから腹にかけてのラインは鬣と同じ薄黄色に染まっていた。そして背中や脚には、クッキリとした茶色のライン。──ポケモンの、ガーディだ。彼はすぐにそのことを理解出来た。彼の姿の変貌にドンすけとホーンは目をパチクリさせて唯々唖然とするばかり。
トン、と前足から地につける。四つ足全ての裏の肉球がしっかりと大地を捉えた。
「──儀式、完了じゃ」
長老はその様子を確認した後、そう呟いて術を解いた。途端に今まで身体を支えていた見えない力が抜け、彼はバランスを崩した。
「わっ」
その様子を見ていたホーンが慌ててバッと受け止める。ガーリィはまだ頭が新しい身体に順応していないのか、慣れない様子でゆっくりと元のように四つ足で立ち上がる。
「……ガーディ……に、なったの? 僕……」
信じられないといった表情で、確かめるように前足を上げてみる。背中を振り返る。口を開けて小さなキバを見せる。それらは間違いなく自分の身体なのだという実感が、フツフツと沸いて来る。
「少し、歩いてみろ」
そうキャプテンが促すと、彼は恐る恐る右の前足を一歩、前へとやった。触れた地面の感触が、掌で感じるそれとはまるで違うコトに彼は驚いた。
(……本当に、前足になっちゃったんだ)
自らの身体の変化への恐れ──或いは人の手だったそれを愛おしむような気持ちが混ざり合って、何とも言えない混沌を生み出す。
そして次に動こうとした時、彼はふと戸惑ってしまった。
(あれ、次って、右脚だったっけ? 左脚だったっけ……?)
考えてみればみるほど、ますます混乱する。今まで当たり前に二本足で歩いていたというのに、いきなり四本足で歩こうとしたのだから無理もない。
その様子に見かねたのか、キャプテンがゆっくりと歩いてきた。
「私が隣で歩くから、それを真似してみろ」
「あ、はい」
キャプテンはしゃなりしゃなりと優雅に歩いてみせる。彼はそれを真似し、一歩ずつ、丁寧に歩いてみる。まだたどたどしいが、何とか歩けていた。
そうしてドンすけとホーンの二人の前に来ると、しっかりと四つ足を垂直に立て、二人の顔を見上げるようにして見つめた。──さっきまでは視線を上げることなど必要無かったが。
「ドンすけ、ホーン」
二人は一瞬見つめ合い、そんなガーリィを見下ろす。
「えっと……迷惑かけるかもしれないけど、僕なりに頑張ってみるから」
にっこりと笑ってみる。
「これから、宜しくね」
瞬間間が空き、頷いた。
「うん」
「……あぁ」
これが、僕らの物語の始まりだった。