FIREの鼓動 第二部「トラウマ」

第7章「BT」


「──それでXをこの式に代入して」

 退屈な数学の授業を聞き流しながら窓の外をぼんやりと眺める。真下に見えるグラウンドでは、たった今誰かがサッカーゴールにボールを蹴りこんだところだった。

(……また、行けるのかなぁ……)

 ゴールを決めた生徒のガッツポーズが小さく見える。視線は其方に向かっているのに──頭の中の想いは全く別の方角を向いていた。

 昨日の出来事はしっかりと記憶に留まっていた。──ポケモンの世界に迷い込んだこと、スピアーに襲われたこと、そして何より、ポケモンたちと会話し、自らもポケモンとなったこと。あの時の感覚は、忘れようにも忘れられないだろう。これから先も、ずっとずっと。五感全てがあの地を覚えてしまっていたのだから。

 あの『ポケモン化身契約』の後、また来ることを約束してまた森へと去っていった。そうして森を彷徨い歩いているうちに──何処で、とは覚えていないが──元の公園に戻っていた、という訳だ。

 戻ってきて不思議だったのは、あのウインディ、ウィンの言った通り、此方の世界の時間がほとんど進んでいなかったことだ。正確に言えば三十分程は経っていたのだが、向こうの世界で過ごした時間はそんなものではなかった。どんなに少なく見積もったって半日は居ただろう。ドンすけの家で寝泊りしたぐらいなのだ。このことは彼をただただ驚かせた。

 公園の遊具から出ると雨はいつの間にか上がっており、すんなりと家に帰ることが出来た。家に帰ってからは、いつも通りに夕食も食べたし、睡眠だって、多少は眠れなかったが、しっかりと取れた。──不思議と時差ボケにはならなかったのだ。これも『森に呼ばれた者』である所以なのかもしれない、と彼は思わざるを得なかった。




 リンゴンとチャイムが鳴った。──起立、礼。今日の授業は此処まで。




 授業が終わるなり、僕は一目散に学校を後にした。幸い、今日は部活も休みの日だった。

 無論、真っ先に向かったのはあの公園。居ても立っても居られなかった。

 公園には子どもが沢山居た。あちらでは鬼ごっこをして駆け回り、此方では砂場で山なんかを作っている。

 そんな中を歩いていき、錆びれた遊具の前へ来た。胸ぐらいの高さの山で、横に穴が一つだけ開いている。他の遊具からは離れ、誰の気にも留められずにポツンと寂しそうに佇むそれは、昨日彼が眠っていた場所。──間違いない。

 この遊具だけ、もう何年も使われていなかった。ラクガキとか、壊れかけとか、そんなことが理由では無い。──ただ単に使われていないのだ。不思議な感じというか、何処か神々しい雰囲気を醸し出しているように彼は思えた。

 と言うのも、この遊具は彼が小さな頃によく隠れ家として使っていたのだ。

 彼は小学生の半ば頃、クラスメイトによく苛められていた。──今思えばほんの些細なことだったが。その時登下校にイジメっ子をやり過ごすのに使っていたのが、この遊具だった。

 そんな懐かしさから来る愛おしさからか、彼は遊具を小さく撫でた。──きっと誰にも分からないのだ、これから先も。

 一瞬後ろを振り返り、公園の様子を見る。此方のことなど、誰も気にする様子が無い。安堵と空虚を感じつつも、彼はまた、遊具の中にその身を沈めた。

(……向こうに行けたら、……また、ガーディなのかなぁ……)

 いつの間にか眠りに誘われていった──。




「……うぅん……」

 どれ位の時間が経ったか、最早検討もつかなかった。目を覚ましてハッと起き上がると、其処はもう──森の中。

「森、だよねぇ……? じゃあもしかして──」

 彼は自分の身体を見やった。赤みのかかったオレンジ色の体毛、走る黒いライン、そして前方に向かって伸びている鼻と上唇。おまけに尻尾までついている。──と、いうことは。

「また来れたんだ、僕」

 前足と化した手を見つつ、自分はまたガーディになったのだと改めて自覚する。嬉しさが込み上げてくる。すると自然に尻尾が左右に元気良く揺れる。

「……ありゃ、犬じゃん僕」

 嬉しい時に尻尾を振るのは犬の習性。ガーディは「こいぬポケモン」だから、当然犬の習性だって持ち合わせている。

 此処で人間であるプライドが邪魔をすれば、ショックを受けたのだろう。が、意外にも彼はそういうことを素直に受け止める性格だった。今はむしろ、またこの世界にやって来れて、ガーディになれた嬉しさが、彼にとって何よりの喜びだったのだ。

 「ガーディも悪くないかもね」と呟き、また尻尾を振る。見たって誰も彼が人間であっただなんて思いもしないだろう。──その位自然だった。

「……あっ、ガーリィ!」

 森のある方向から声が聞こえる。振り向くと、其処にはリザードンとサイホーンが居た。──ドンすけに、ホーン。

「どうしたの二人とも、──まさか僕が来るの分かってたんじゃ」

 「違ぇよ」ドンすけは言う。

「日課の散歩だ、いつもこの時間に散策してっから」

「そしたら偶然此処を通りかかっただけだよ」

「あ、そうなんだ」

 成る程ね。納得すると、寄って来たドンすけに向かってピョンと飛び跳ねる。ドンすけも慌ててガーリィを両手で受け止める。

「──んだよ、もうガーディが板についてんじゃねぇのか?」

「ははっ、そうみたい」

 彼は笑ってまた尻尾を振った。

「あっ、じゃあ村に行く? キャプテンも『またこっちに来れなかったら』って心配してたし」

「うん」

 そうして三人は村へと歩いていった。




「そういえばまだ、村の中、紹介してなかったんだっけ」

 村の入口、ドンすけとホーンの家の前でドンすけが呟いた。

「だったね、昨日はそれどころじゃなかったし」

 「今朝もな」とドンすけが言う。──あぁ、そっか、向こうに居る時はこっちの時間は進んでいるんだ。複雑なので整理すると、元の世界に居る時は此方の時間も進んでいて、此方の世界に居る時は元の世界の時間が進まない──つまり元の世界での生活の時間が奪われるのはほとんど無いのだ。

 そんなことを考えつつも話を切り出した。

「えっと、じゃあ、……案内、してくれる?」

「勿論!」

「……あぁ」

 答えはゴーサインだった。




 村の中心に入ってすぐ、大きな池が目の前に見えてくる。その丁度真ん中に島があって、其処には大きく天にそびえ立つ一本の木と、その足元には一軒の家があった。それを指してホーンが言う。

「あれが長老の家。──今朝行ったから分かるよね?」

「あっ、うん」

 今朝、と言われて少々戸惑う。『ポケモン化身契約』をした時に訪れたのがこの家だった。此処には長老であるラプラスが住んでいるらしい。

「契約の時は居なかったけど、あそこには長老の孫のミストも住んでいるんだ。多分後で会うと思うけど」

「孫って、ラプラス?」

「そう」

 後で会うという言葉が気になったが、次を見やった。

 その池を囲むように踏み均された土の道が円を成し、更にその道の外側に木で出来た家がずらりと並んでいた。

「村の皆は大体此処に住んでいるんだ」

 その家々の前で挨拶を交わす者、話を楽しんでいる者、様々なポケモンたちが居た。

 それとなくその光景を眺めていると、ふとあることに気がつく。

「──あれ、炎ポケモンが多いんだね、割と」

 ヒトカゲ、ポニータ、ロコン、マグマラシにブビィ。更に言えば、リザードンのドンすけや、ウィンディのウィン。一見すると確かに多いように思えた。

「だから此処は『ファイア村』なんだぜ?」

 ドンすけが横から口を出してきた。

「ファイア村?」

「そう、……ってか、まだまだ話しておかなきゃいけねぇコトだらけだな」

 そう言ってドンすけはグルゥと喉を鳴らした。──そう、まだコイツは何にも知らねぇんだ。

「へぇ、ファイア村かぁ──ところで昨日から気になっていたんだけどさぁ」

「何?」

 ホーンは首を傾げた。

「キャプテンって、何のキャプテンなの? 意味が無く呼んでいる訳じゃないんでしょ?」

 「あぁ、それか」とドンすけ。ホーンは隣で笑っていた。

「村のBT──バトルチームの略だけど──そのキャプテンだな、つまりは主将」

「BT?」

「此処で説明するよか、バトル場に行った方が良いな。どうせ行くトコだったし」

「そうだね、その方が」

 そう言って「来いよ」とガーリィを手招く。彼は慌てて二人の後をついていった。




「此処がバトル場だ」

 バトル場はサッカー場ぐらい広かった。固く踏み均された土で出来た長方形のコートで、その長い方の辺の丁度半分を区切るように真っ直ぐ線が引かれ、中心に描かれた円を串刺しにするように白いラインが通っていた。

「……凄い」

 その上でポケモンたちがお互いの得意技で攻撃し合っている。──成る程、トレーナーが居ないポケモンバトルって考えれば良いんだ。彼は納得した。

「お、ドンすけ! ガーリィも来たか!」

 暫く見ていると、其処に居たキャプテン──ウィンが此方に気がついて声をかけた。二人が軽く礼をしたのを見て、慌ててガーリィも頭を下げた。

「皆、止め! 集合だ!」

 ウィンの号令で其処に居たメンバーたちが即座に手を止め、あっという間に集まってきた。そしてやって来た三人の前に集合する。

「皆、聞いたかもしれないが、コイツが今度新しく村に入ったガーリィだ」

 ウィンがガーリィの隣に立ち、紹介する。すると集団がザワザワと騒ぎ出した。

「彼にはドンすけの補佐を行って貰うコトにしている。……ガーリィ、挨拶を」

 言われ、集まった面子をキョロキョロと見回しながらも彼は一礼した。

「ガーリィです、……まだ村に来たばかりなんで何かと不都合もあると思いますが、これから宜しくお願いします」

 それでもまだ集団はざわついていた。時折「例の人間」とかいった言葉も聞こえてくる。──第一印象は、あまり良くないみたい。彼は薄々ながらも感付いていた。

「兎に角彼はまだ此処に慣れていない、その辺は多めに見てやってくれ。──それでは練習再開!」

 ウィンの号令で皆が散って練習を再開し始めた。

「あぁ、ミストとボルタは残ってくれ」

 言われ、ラプラスとモココが足を止めた。

「ウィン?」

「何だ?」

「お前たちはレギュラーだ、何かと接するコトも多いだろうからな」

 レギュラー。つまりこの二人は、キャプテンことウィンと同じくBTの正規メンバー。

 ミストと呼ばれたラプラス──海の青の身体に、四つの鰭、トゲトゲの甲羅を背中に背負ったポケモン──は何処となく気品のある目をしていた。──成る程、長老の孫なだけある。

 そしてボルタと呼ばれたモココ──ピンクの身体に、光る玉のついた尻尾、首や頭には白い体毛がある、羊が立ち上がったようなポケモン──は頬に絆創膏をつけ、両腕には白いテーピングが巻かれていた。──喧嘩でもしたんだろうか。

「聞いたと思うが、私の名はミストだ。お前のコトは祖父から聞いた、──ドンすけを助けてくれたそうだな」

 ミストがガーリィを見て言う。

「あ、いや、アレは」

「チームメイトとして礼を言う、ありがとう」

「あ、はいっ」

 いきなり感謝を告げられて、顔が真っ赤になる。──別に、僕が特別なコトした訳でも無かったんだけどなぁ。

 そして其処でふと何かに気付く。

「……あれ、ドンすけって、BTのメンバーだったの?」

「ったりめぇだ」

 フンと鼻息を荒くしてドンすけが言う。「これでも副キャプテンだからな」

「あっ、そうだったんだ」

「おいおい、言ってなかったのか?」

 ウィンが呆れた顔をして苦笑した。「それでは誰の為の『サポーター』だか分からないだろう?」

「いや、BTのコトは今聞いたばかりっすから──」

 するとその様子を見ていたボルタがわざとらしく大きな溜め息を吐く。

「何も分からない奴が、ドンすけの補佐だと? ──フン、馬鹿馬鹿しいにも程がある」

「ボルタ」

 すかさずウィンが制す。「言葉が過ぎるぞ」

「何も嘘は言っていない。──おいミスト、練習を再開するぞ」

「……あぁ」

 そう言って2人はバトル場へと戻っていった。その後ろ姿を見やり、ガーリィは何も言い返せないまま下を向いてしまった。──そりゃあ、今はそうだけど。

「気にすんなよ」

 暫くしてからドンすけが言う。「あいつ、新入りには厳しくてな。それに俺に凄ぇ対抗心燃やしてんだ」

「……そうなの?」

「そうだ、……あいつがレギュラーメンバーの3番目、俺が上に居るコトを未だに認めようとしねぇんだ。そのコトもあるんだろ」

 野球で言えば打順争いみたいなモノだろうか。

「正直のトコロ、お前とボルタは差があまり無いからな──仕方あるまい」

「絶対負けてねぇっすよ、女になんか負けてられっかってんだ」

 フンとドンすけが鼻息を荒くする。──女?

「……あれ、ボルタって♀なの?」

 ガーリィはキョトンとして尋ねた。

「そうだ、レギュラーメンバー唯一の女戦士──両腕から繰り出されるパンチは高速で高い破壊力を持つ──なんて前口上もあるくらいだからな」

 ウィンはそう言って笑った。しかしガーリィは冷静になって思い出す。

「……あれ、モココって動き鈍いんじゃなかったっけ」

 「本当はな」ウィンが続けて答える。

「だがアイツは育ちが違う、幼い頃からボクシングの訓練を続けている所為もあって、素早さが特化されてしまったんだ」

「ボク……シング?」

 ──成る程ね、つまり喧嘩好きなんじゃなくて、バトルガールってトコか。随分人間染みたコトしてるんだなぁ。

「正直言って、俺もアイツの拳は食らいたくねぇんだ」

 そしてすぐにガーリィの方を見やる。

「それより、サポートにつくんだろ? それなら俺の練習見た方が良いんじゃねぇのか?」

「あっ、そうだったね」

 そう言って二人は歩き出そうとする。──とその時、ガーリィがあるコトに気がついた。

「あれっ、そういやホーンは? ホーンはBTじゃないの?」

「えっ」

 ドンすけがピタリと足を止めて、ホーンはその場に硬直する。──いきなりその場が凍りついた。

 ガーリィはキョトンとしてその場の妙な空気に気がついた。

「……えっ、二人のサポーターを任されたから、てっきりホーンもかと思ってたんだけど──違った?」

「……いや、あのっ──」

 ホーンは急にソワソワし始めた。──どうしたんだろう?

「何か、不味いコト言った……?」

「……そっ、そんなんじゃ──」

 すると突然、何も言えなくなったのに耐えかね、「ゴメン!」と叫んでホーンはいきなり駆け出していってしまった。

「えっ、ホーン?!」

 慌てて追いかけようとするが、途端に尻尾を掴まれる。振り返ると、それはウィンの前足だった。隣でドンすけも「やっちまったか」という顔をしている。

「……キャプテン?」

 キャプテンは黙って首を振った。「ガーリィ、後で私の家に来い」

「えっ……?」

 何が起こったのか、ガーリィには知る術も無かった──。




←BACK  NEXT→

RETURN