FIREの鼓動 第二部「トラウマ」

第9章 「森のざわめき」


 村に来てから、1週間が過ぎようとしていた。

 木の葉は色づき始め、もくもくとした積乱雲も姿を見せなくなり、いつの間にやら風も涼しくなり始めていた。──もうすぐ秋だ。

 現実世界もファイア村も、季節は一緒らしい。

 その現実世界の世間では、早くも紅葉に向けての各地の宣伝が始まっていた。アナウンサーたちは、此処の神社では美しい紅葉が見られるとか、そんな決まりきった台詞をテレビで繰り返している。

 が、ファイア村も負けていない、とガーリィは思った。黄色や赤、オレンジなど、色とりどりに化粧した木々が、森のずっとずっと奥の方まで広がっている。そして何より、人間の手で荒らされた形跡の無い、自然のままの森が、其処にはあるのだ。

 人が手を加えた瞬間、自然は自然ではなくなる。其処にはもう、その自然のままの美しさは戻ってこないのだから。

 と、そんなことを考えつつ、彼は木漏れ日の間を歩いていたのだった。

「……久しぶりだよなぁ、のんびり紅葉狩りだなんて」

 そう言って、思わず溜め息を漏らした。忙しかった学校生活も、此処では存分に忘れられた。何しろ時間を気にすることが無いのだから。

 暫くぼんやりと眺めていたのだが、ふとあることに気がつき、右の前足につけていた腕時計を見やる。

「やばっ、そろそろ時間じゃん」

 彼は慌てて村へと走っていった。




「え、留守?」

 バトル場の前で固まるガーリィ。どうやらドンすけはまだ来ていないらしい。

「あぁ、一時間ぐらい前だったよな? 出かけたのは」

 ウィンは近くを通り過ぎようとしていたヒトカゲに聞いた。

「──の筈だと思います、確かホーンさんも一緒に」

 そう言ってヒトカゲは、急いでいたのか、慌てて置いてあったタオルやら何やらを両手に抱えて持っていってしまった。

「ホーンも?」

「あぁ、差し詰めいつもの散歩だろう。──ったく、大会も近いというのに」

 そう言ってウィンは顔をしかめた。「悪いが、探しに行って来てはくれないか? いつもの森だろうから」

「……はぁ」

 世話が焼けるなぁ、全く。しかしこれも「サポーター」の仕事だ、と思うと仕方がなかった。




「……二人の散歩道なんて、知らないのになぁ」

 ブツクサと文句を良いながらさっき通ってきた獣道を逆戻りしていく。このまま真っ直ぐ行けば現実世界へと繋がる領域だ。

(……まさか、向こうの世界に行ったんじゃ……?)

 一瞬そんな考えが過ぎるが、すぐに掻き消される。長老は自分が居なければ向こうの世界への次元の歪みは生まれない、と言っていた。「炎の継承者」である、自分が居なければ──。

 しかしそう思ったのにも理由があった。先程から妙に──何と言うか──毛が騒ぐとでも言うような感覚が彼を取り巻いていたのだ。五感で感じられるようなモノではないことだけは確かだった。




   ──ザワワ、と森がざわめいた。




 その瞬間、ガーリィは何かを感じ取った。音でも匂いでも姿でもない。──何かの波動を。

 ハッとした彼は、一目散にその方向へと走っていった。

「ドンすけ! ホーン!」

 四つ足で必死に走っていく。その気配が、二人のモノだと信じて──。

 すると呆気なくその時は訪れた。

「──あ」

 茂みから飛び出した瞬間に彼はその動きを止めた。ついに彼は見つけたのだった。

「……ガ、ガーリィ? どうしてこんなトコに?」

 驚くドンすけの隣で、ホーンは目をパチクリさせて固まっていた。

 「そっ──」彼は溜まりに溜まっていた言葉をいっぺんに吐き出した。

「そんなの僕が訊きたいよ! 何処に行ってたのさ?! 練習もすっぽかして──」

 ギャアギャアと騒ぐガーリィ。ドンすけは思わず耳を塞いだ。

「悪い、──道に迷ってな」

「……道に?」

「あぁ、そんなトコだ。──なぁ?」

 いきなり振られ、ホーンは慌てて答える。「あっ、うん」

「……本当?」

 彼が疑うのも無理はない。どう考えてもおかしな話だった。もう何年もこの森で散歩してきた二人が迷子になる筈が無いのだ。

 「……嘘は言ってねぇよ」ドンすけは言う。

「それよか急がねぇと! 練習出来なくなっちまうぞ!」

 彼はヒョイと両手でガーリィを持ち上げた。

「え、ちょっと!」

 抵抗する間も無く彼の背中に乗せられるガーリィ。

「村への方角はお前が教えてくれ、な?」

「……もう」

 まるで有無も言わせないような言葉の運びに乗せられてしまったガーリィだった。

 練習を暫く見た後、「先に休む」と言ってガーリィは練習場を後にした。

 ずっと頭に引っ掛かっていることがある。それは、「空が飛べるのに、森で迷う筈が無い」ということ。飛び立てない程に木々が密集している訳でもない。それなのに、二人は否定した。何か秘密にしなければならないようなことでもあるのか、それとも──。

「最近の森は、妙に騒がしいな」

 道を歩いていると、そんな言葉が何処かから聞こえてきた。

「騒がしいって、どういうコトですか?」

 ガーリィは思わずその噂話をしているポケモンたちに訊ねた。彼らはギョッとしてガーリィを見た後、一度落ち着いてからこう言った。

「あんたなら分かる筈だ、そもそも別世界から森を通じてこの世界に来ているのだろう? ──本当はそのコト自体が稀だというのに」

 「稀?」彼はキョトンとした。ポケモンたちは少々呆れ顔をした後、話を続けた。

「それに何だか変だしな、近頃の森は」

「あぁ。──何だか森が『ざわめいている』ような気がする」

「……ざわめいている?」

 ますます訳が分からない。

「そうだな──今までの森じゃない、それぐらいしか分からんな」

 納得の行く説明を求める方が無駄だったかな、と彼は思った。

 ガーリィの困った顔を見て、二人の内の片方が呟いた。「それにしても──」

「……何ですか?」

 「いや、何でもない」そう言って目の前からそそくさと消えていった。

 正直狐につままれたようで気分が悪かった。相変わらず村人達は自分に素っ気無い。いつまでこんな「距離」があるのだろう。

 そんなことを考えつつ、彼はパートナーたちの家へと向かっていった。

「……あー……」

 ドンすけの家の中、天井の木で組まれた梁を見上げながら土の床に寝転んでいる。グテーッと脱力したり、ゴロゴロと寝返りを打ったりしている様子は、ガーディそのものだった。

(……訳が分からないよ、もう……)

 自分は二人のサポーターになった。けれどその役目を果たしているとは到底思えないし、第一その二人にまで隠し事をされてしまった。──前者は仕方ないにせよ、後者は気分が悪かった。

 暫くそうしていると、「ただいま」という声と共にドンすけが家に入ってきた。

「……あ、お帰り」

 床に寝転がっているガーリィを見るなりドンすけは驚いて言った。

「……何してんだよ」

「……寝転がってるけど?」

 思わず拍子抜けしてしまう。「馬鹿、んなの分かるってんだ」

「単に疲れただけだよ」

「……そうか」

 チラリと時計を見やると、針は午後の五時頃を指していた。いつもなら帰る時間だ。

「……帰らない、のか?」

 するとガーリィは大きく溜め息を吐き、身体を一度伸ばした後にパッと起き上がった。

「あの、さぁ」

 そう言ってドンすけを見る。ドンすけも応えるように此方の目を見つめる。

「……何だ?」

 至って平静を保っている。もしかしてポーカーフェイスが使えるのだろうか、と一瞬考える。

「……結局のトコロ、何処に行ってたの?」

 ドンすけは視線を落とした。

「──それは」

「言えないの? 僕にだって薄々分かってるんだよ、迷子になったんじゃないコトぐらい」

「………」

 途端に黙ってしまう。そして数秒の間の後、彼は口を開いた。

「……一つだけ言っておく、俺らは確かに『迷子にはなった』、……ほら、もう帰る時間だぞ」

「はぁ?」

 意味が分からない。そのことを聞こうとするが、ドンすけは出口へと彼を押しやった。

「俺もこの後用事があるんだ、……話ならまた今度にしてくれ、な?」

「……もう」

 その時はそれ以上聞くことが出来なかった。

 が、それが後に重要な意味を持ってくることに、その頃のガーリィは気付く由も無かったのだった──。




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